第5章 立居振舞 ◆第12節 起立と着席
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第12節 起立と着席


【参考】イスの歴史
  1. エジプトのトウタンカーメン王 (BC1368〜1349) の墓からの出土品を見ると、すでに、ぜいたくなイスが含まれている。
    ほとんど、こん日のイスとかわりないから考え込まされる。
  2. ゲルマン人たちも、避牧民であったから、イスは、かなり、古くから持っていたのではなかろうか。
  3. 新約聖書の中には、イスが、一般生活に普及していたとしか考えられない表現が、かなり、出てくる。
  4. 中国でイスを使いはじめたのは、AD 200 年ごろのようである。
    遊牧民族のポータブルの折りたたみイスをまねて、同じようなものを作り、家庭用に使ってみたという。
    それまでは、日本や韓国の座り方と同じようなことをしていたらしい。
    とにかく、このイスの導入によって、中国の生活様式は一変したという。
  5. 日本では、AD 600 年代まで、すべての人が、男も女も、あぐらをかき、または、片膝を立ててきた。
    そこで、座ぶとんの前身である円座のようなものは、ずいぶん昔から日常化していたようである。
    図:37

  6. 奈良時代には、神社、仏閣、宮殿を石の床とし、儀式では、中央壇上に、木製のイスを置いて、首長のみが座し、他は、全員起立したままでいた。
    これは、唐の形である。こん日も、大和平野の中の神社には、いくばく、石の床のところが残っているし、こん日の神社での昇殿礼拝の形が、これである。
  7. けれども、この奈良時代にも、会議のためには、古来の風であったところの、一同、アグラをかいて座る形がとられ、そのとき、議長は、一段高いところで、アグラをかいていた。
    そのほうが、下腹に力を入れやすく、落ちついたのだろう。
  8. また、仏教では、すべて、結跏跌座であって、たとえば、一宗の座首(ざす)といえども、大きなイスの上で、結跏跌座していた。
    この形は、こん日も、大寺院に見る形である。
  9. 下って、戦国時代(1467〜1573年)には、武将のよろいかぶとに鉄が入ってきて、重いから、立ち上がりを容易とするため、武将用の組立イスができた。
    が、武将以外は、まだ、アグラであった。
  10. 日本で、一般に、イスの生活がはじまったのは、明治時代からであって、はなはだ、新しい。
  11. そこで、イス国民の持つイスの取扱い方法が、日本では、わきまえられていないことが多く、そのため、日本人は、欧米などで、よく、いやしまれる。
  12. 日本人は座ぶとんの取扱いを、うまく、する。そのように、イスの取扱いも、うまくならなければならない。
【参考】軽いイスと重いイス
  1. イスは、元来、自分の座りたいところに、自分で持っていった。
    で、上等なイスほど、軽く、きゃしゃにできているという思想がある。
  2. そこから、種々のイス作法が生まれている。
  3. 簡単には動かせないソファー、セズロン(寝椅子)などは、あとから、生まれたものである。
【型1】イスを持ち運ぶとき、床上を引きずるな
  1. イスを、床上で、引きずって歩くことを、育ちの悪い人物のすることと見る思想がある。
  2. なるほど、そうすれば、イスにガタが来やすいし、引きずる音もする。
  3. キャスターのついているイスですら、床上を50cm以上、すべらせていかないのが、1つの教養である。
  4. イスを持ち運ぶとき、床上を引きずられるな。
    オーバーに見えようとも、イスを高く持ち上げて運ばれよ。
【型2】イスの左側通過
  1. イスに腰かけられるとき、物理的に可能なかぎり、イスの左側から、イスの前に入られよ。
  2. イスに座っておられて、イスの横に立たれるとき、物理的に可能なかぎり、イスの左側に立たれよ。
  3. これらは、欧米流の古くからの基本作法の1つとなっている。
    つまり、イスでは、物理的に可能なかぎり、どこでも、左側通過ということ。
    日本人は、これを知らず、軽蔑される。
  4. 食事のときも、これを行われよ。
【説明】
  1. こういう風習のできた原因は、すこぶる簡単なことのようである。
    左の腰に刀を下げていたからである。
    刀は、女子も下げていた。現在でも、たとえば、イギリスの載冠式のとき、責族の女子は、サーベルを下げている。
  2. それから、世界中、右側を尊しとする習慣がある。
    で、並んでいるイスに座っていくとき、右側のイスの人に遠慮して、そうなっているようでもある。
  3. ともかく、儀式的な乾杯をするといったとき、イスの右や左に、まちまちに立ち上がったのでは、サマにならない。
    また、イスに座っている人は、自分の左側に座っている人が、よもや、こちら側に立ち上がってくると思わないとき、左側の人との間に、物を置いたり、また、左側に、大きく動作したりすることとなる。
    で、やはり、イスの取扱いを、左側か右側に統一しておくのがよい。
    そのとき、古来、左側であるならば、そのまま、左側に統一しておけということになる。
【型3】イスに遠い手を

後ろの相手と、やりとりが済み、イスに座るとき、尻を、イスに持っていく前に、イスの背に、イスとは遠い側の手を持ってゆかれよ。
そのほうが、相手に対し、かえって失礼でない。

図:39
【型4】着席
  1. イスに腰かけるとき、必ず、手横下としてから、動作を始められよ。
    丁寧のつもりで、手前下のままで、行われないように。
  2. イスに腰かけるとき、ピョコンと腰かけられるな。室内の空気を動揺させる。
  3. おじぎなどを済ませ、着席するときの標準的な時間割。
    1. おじぎから頭を上げおわったのち、相手の目を見て、立っている。
      …1秒間
    2. イスの背に、手をかけ、イスを充分に引く
      …2秒間
    3. イスの前に両足を入れる
      …3秒間
    4. 座り、そして、座りごこちをなおす
      …4秒間
  4. 女性は、椅子に腰かける時、スカートを処理するためにお尻を撫でることは、絶対になさらぬように。
    なお、スカート処理は次のように行なう。
    1. 後ろにスカートひだがない場合 (図1)
      スカートの両脇を軽くつまんで、スカートの後ろ生地を少々張るようにして座わる。
    2. 後ろにスカートひだがある場合 (図2)
      座わる寸前に、ひざの後ろ側を両手の甲で上下、軽くなでるようにして座わる。

    図:40

  5. 男子は、イスに腰かけるとき、裾の長い上着を着ているならば、上着の裾を、うしろ左右に払われよ。
  6. 着席する場合、ズボンを、ちょっと、つまんですわるようにされよ。これは、ピチッとしたズボンの場合に、行なう。
  7. 男子は、シングルの背広を着ているとき、イスの前に入って、着席するとき、上着のボタンをはずしてから着席されよ。(はずされなくてもよいが)
    ただし、男子におけるダブルの背広、および、女子におけるブレザーなどの上着については、上着のボタンをはずされるな。
  8. 分解練習
    1. からだの重心を低くする。
      図:41a
    2. 水泳飛び込み型 (座る直前)
      図:41b
    3. 浅く座る
      図:41c
    4. 深く座り直す……女子は、スカートの乱れをただす。容易に動かし得るイスの場合イスを前に引いてよい。
      図:41d
    5. かかとをうしろに
      図:41e
    6. 手前下
      図:41f
【参考】

会社などを訪問した場合、しばしば、応接室に通されることがある。
そこには、多くの場合、ソファーが置かれている。
そこで、足を引くことなど、正座などに必要な形をとることができなくなる。
で、こういう場合には、背筋が床面に対して垂直になっていることを、最低条件とするものである。

【型5】座っているとき、イスの前脚を浮かすな
  1. イスに座っているとき、けっして、イスの前を宙に浮かされるな。
    図:42
  2. 欧米では、これを、ことのほか、教養のない行為として、さげすむ。
    が、日本人は、欧米に行ったときも、いっこうに平気で、これを、やる。
【型6】イスに座ったまま、および腰で物を取るな
  1. イスに座っていて、すこし、遠くのものを取ろうとするとき、イスに座ったまま、身体を乗り出して、取ることをされるな。
    必ず、いったん、起立してから、物を取られよ。
  2. これも、日本人が、卑しまれる1つ。
【説明】

会合などのとき、日本人は、立ち上がることを失礼と思うあまり、座ったまま、および腰で、遠くの物を取ろうとする。
が、これを、かれらは、ドロボーの仕草と見る。

【型7】相手のある起立
  1. 相手が立っているとき、座ったまま、発言されるな。
    (授業のとき、この点を、とくに自戒のこと。ことに、学生同士の質疑応答において、注意されよ)
  2. 相手が立っていても、こちらの身長域 内に入っているとき、こちらは、座ったまま発言したほうがよい。
    ただし、ふんずりかえった形にならないように注意されよ。
  3. また、挨拶するときは、この場合も立たれよ。
  4. よほどの老人でないかぎり、中腰は、立ったことにならない。
    日本人は、この点、ムードを出しているつもりで、はなはだ、みっともないことが多い。
  5. 机を前にしても、これに手をついているあいだ、立っているのではない。
    このことは、日本において、畳に手をついているのと異なり、はなはだ、失礼とされる。
  6. 発言のために立ったときは、相手が目上でなくとも、正立されよ。
  7. 立って、文書を見ながら、発言するときは、文書を胸の高さまで上げて手に持ち、正立または、半正立されよ。
    文書を机上に置いたままで行われるな。
【型8】起立
  1. 手前下のまま、身体の重心を前に移動する。
  2. 必ず、手前下を、ほどいてから、立ち上がり始める。
  3. おもむろに、立ち上がる。
  4. このとき、男子は、身体を前に、最小限、45度は、傾けられよ。
    日本人は、わずか、これだけのことを知らないため、どうにも、見苦しい形となる。
    図:43
  5. ところで、女子のとき、この45度の最小限度も考えなくてよい。
    要するに、女子は、立ち上がるに必要最小限度の前倒ということでよい。
    (女子は、上体の重心が、男子より前にある)
  6. それから、前に机があるとき、ないときの区別、ふくらはぎで、イスをうしろに押せるとき、押せないときの区別は、考えなくてよい。
  7. それから、髪型によって、髪が、前に垂れる問題はあるが、そういう頭髪で、髪が前に垂れないように立つとすれば、すっくと立ち上がるか、幽霊が立ち上がるようにするかである。
    で、こういうときは、平気で髪を前に垂らしたまま、立ち上がり、その後、櫛やハンカチーフで、髪をなおすというのが、品がよい。
【型9】立ち上がったとき
  1. 座っていたところから、立ち上がった瞬間、両足のかかとを浮かせ、全身をピョコンと上下動される方がある。
    まい年、諸君の5%は、はじめそうである。
    ホテルに行ってみると、ホテルの従業員の中に、やはり、そういう方々がある。
    このクセのある方は、このクセを取り去られるように。
  2. 同じく、立ち上がったとき、左右に、身体を大ゆれされるかたがある。
    これは、欧米人にも多い。が、その欧米人でも、教養のある人たちは、これを、やらない。
    で、これに染まると、教養のないグループに所属することを、わざわざ、示していることになる。
  3. 立ち上がる前、上着のボタンをはずしておられたならば、立ち上がったのち、それを、はめられよ。(通常の仕立てでは1つでよい)
【型10】イスを入れよ
  1. 立ち上がったとき、イスを、前の机の下に入れられるかぎり、うしろから、そのイスを誰かが引いてくれて、立ち上がったのでないかぎり、必ず、そのイスを、みずからの手で正確に、机の下に入れられよ。
    食事のあとも同じ。(とくに重いイスのときは別)
  2. そのとき、まったく音をさせないように、訓練されよ。
  3. 音がしそうなときは、はなはだノロノロと行われても、音をさせないほうが、作法にかなう。
  4. イスは、ゆがめることなく、キチンと机の下に入れられよ。
  5. 食事中、その他、中座するとき、このイスを半分程度、机の下に入れるのが、中座の信号となっていたが、現代では、全部、入れてしまうのがよい。
  6. しかし、起立して、質問とか、スピーチとかをし、また、そのまま着席するとき、イスの横に出る必要はなく、したがって、イスを、うしろに蹴出した形のままでよい。
【説明】
  1. ある年、わたくしは、パリで、ヒッピーの集まるスナックにいた。
    そこへ、12〜13名の外国人のヒッピーが、ドヤドヤと入って来た。
    はなはだ、にぎやかであったが、しばらくして、その中の1名が、なにか、奇声をあげて、出て行くや、残りのヒッピーが、ザアと立ち上がり、バラバラと出て行った。
    その、飛び出て行くとき、1つのことを見た。
    1名残らず、無意識に、自分の掛けていたイスを机の下に、キチンと入れていった。
    同じヒッピーでも、日本のヒッピーと、習慣が違うというのか。
    ヒッピーが、一切の、「型」 を無視する生活に生きていることは、ご承知のとおりであるが、立つとき、イスだけは、自分で始末して行った。
  2. それから、日本に帰ってくると、たまたま日本の一流ホテルマン幹部20名ばかりの東京での会食に呼び出されて行った。
    食事が済んで、一同、別室で、コーヒーをということになった。
    ぞろぞろと、立ち上がったが、そのうち3名だけが、イスを、自分の手で、キチンとテーブルの下に入れていた。
    また、別の4名が、イスを、いいかげんながら、テーブルの下に、つっこむマネをしていた。
    残り、13名のメンバーは、立つや、イスにさわるのが、紳士として恥ずかしいとばかり、そのままにして、しかし、歩き方だけは美しく、別室に進んでいった。
    つまり日本では、ホテルマンとして、イスの後始末をする者は1/3ということである。
    いわんや、国民一般は、1/10にも達するまい。
    こういったところに、イス生活3000年と80年のひらきを見る。
  3. 欧米では、王侯・大富豪といえども、誰かが、イスを引いてくれたのでないかぎり、みずからの手で、キチンと、イスを机の下に入れていくのである。
【型11】正面の相手への起立発進

いま、こちらが、椅子に腰かけていたものとしよう。
で、相手がこちらの正面にいたものとしよう。
で、こちらが立ち上がり、相手に何かをするものとしよう。
もし、こちらと相手の間に、何の障害物もないのであれば、こちらは立ち上がりざま、相手に対し、真っすぐ行動して行かれよ。
それが美しく、卑屈でない。

【型12】イスに背を向けるな

立ち上がって、自分の真うしろに行くとき、いま、腰かけていたイスに、背を向けられるな。

【説明】

これは、イスのあとしまつをする習慣につながる形のようである。

【型13】足呼吸
  1. ここでいう話は、誤解がないようにしたい。
  2. まず、身体中、いつも、つっぱったところがないようにする。
  3. で、身体を、1つのゴム袋であると思うこと。
  4. で、いま、息を吸う。息は、口から吸っても、鼻から吸っても、どちらでもよい。
  5. とくに、深呼吸するというわけではない。
    息を吸ったならば、その息を腹の中に入れる。
    身体中が、1つのゴム袋であると思えば、そういうこともできる。
    (本当に、そうすれば肺がやぶけてしまう。ただ、そう思うだけである)
  6. 腹の中に入れた息は、肛門付近を通し、ふと股の後ろから、膝の後ろ、ふくらはぎを通し、足の裏まで入れる。
    身体中が、1つのゴム袋であると思うから、そういうこともできるのである。
  7. こんどは、息を吐く。
  8. このとき、自分のエゴを、足の裏に置く。
  9. で、こんどは、息を吐く。
    そのとき、足の裏付近にある息から、まず、だしてゆく。
    そうして、その息は、口から出しても鼻から出してもよい。
  10. エゴは、引き続き、足の裏に置いたままである。
  11. 吸う息と吐く息とで、いずれが、大切かというと、吐く息である。
    ちょうど、呼吸の 「呼」 とは吐くこと、「吸」 とは吸うこと。
    呼吸という言葉からして、吐くほうが先になっている。
  12. この呼吸法は、寝っころがってやってもよい。
    すると、すぐにねむれる。
  13. また、椅子に腰かけてやってもよい。また、立ったままやってもよい。また、歩きながらやってもよい。(走りながら、やることは、わたくしとして、やったことがないから、わからない)
    寝ているとき以外にやると、冷静な判断ができる。
    会議が紛糾したり、相手との話が、議論になったときなど、この呼吸法をやると、てき面によい。
    姿勢をよくしていなくてはならないときに、この呼吸法を行なえば、端から見て気品があるようになる。
  14. 足の裏まで、息を入れるように、観念することは、実は、腹式呼吸を行なうことに過ぎない。
    腹まで、息を入れようとしても、胸までしか入らない。
    そこで、足まで息を入れようとすれば、丹田まで入るのである。
  15. (なお、臍下丹田というが、臍の真下が丹田ではない。肛門の上にある、神経 (チャクラ) が丹田である。ご参考までに)
  16. 人間には、2つのエゴの置き場がある。
    その1つは、「眉間」、眉間にエゴを置けば、分析的に頭が働く。
    このためには、ロダンの 「考える人」 の形がよろしく、うずくまるのがよい。
    身体中、いくばく堅くすること。
    そこで、教室で、答案を書くときなど、このロダン形がよい。
    わたくしも、試験のときには、足呼吸を勧めたりしない。
  17. もう1つのエゴの置き場は、「足の裏」である。
    足の裏にエゴを置くと、直感的・決断的になる。
    このときは、身体中、柔らかくしていなければならない。
  18. 19世紀から20世紀前半にかけて、眉間にエゴを集中するような、頭の使い方のみを勧めたものである。
    これのみが科学的であり、足の裏にエゴを置くような頭の使い方は、迷信的であると思われてきた。
    わずかに、座禅やヨガの世界で、足の裏にエゴを置くことが、肯定されてきただけである。
    こん日といえども、そういう考え方で、頑固を張る人が多いが、少しは進歩してほしい。
  19. 立居振舞法の土台は、この足呼吸にある。
    で、まず、足呼吸ができるようにならなくてはならない。
    頭の頑固な人でも、3ヵ月ほど、心掛けるとできるようになる。
    素直な人は、1日で、できるようになる。
    できないわけは、ほとんどが、肩に力が入っている。
    わたくしは、この足呼吸を、はじめ、白隠禅師著 「夜船閑話」 で知った。
    であるから、これらは、禅宗での教えであると思っていた。
    で、あるとき、カトリックの神父様に、その話をした。
    ところが、その呼吸法は、ある修道会で、昔から、やっていると、逆に説明を受けた。
    そんなことから、この方法は、昔、東西に広がっていた方法であるかも知れないと思うようになった。
    ヨガを通じて、インドでは、ごく、普通にこれをおこなっている。

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