第20節 すれ違い
【型1】相手のどちらを通り抜けるか
- すれ違いには、右側によけられよ。
- しかし、相手が、こちらから見て、右側に来てしまったときは、それにあわせて、こちらは、左側によけられよ。
(以下、たんに、「右側」 と書いてあるところについて、すべて、同じである)
- もし、右せんか左せんか双方で、迷ったときは、こちらとして、立ちどまり、まず、二コリとされよ。
それから、自然にあいた側を通り抜けられよ。
【参考】
- 世界中、古来、右を尊しとしてきた。
- で、東洋では、むこうから来た相手に対し、こちらが、へりくだって、左側によけた。
- では、西洋で、なぜ、右側によけたりするのかということになるが、「向こうから来た相手にとっての右側を侵さないようにする」 という考え方がある。
- 「天地神明にかけて、おのれをつつしむ」 考え方と、「相手の気持ちになって奉仕する」考え方の違いであろうか。
どちらが、上等であるとは申せない。
- 物理的には、大部分の人の心臓が左側にあるから、心臓を保護するためには、左側交通のほうが、よいと見るのであるが。
- われわれは、技術力によって、あるいは、武力によって、われわれの何千年かやってきた左側交通を一夜にして、強制的に右側にかえられた。不愉快である。
- しかし、もし、われわれの左側交通方式に、かれらの右側交通方式を、一夜にして、変えれば、やはり、かれらとして、不愉快であろう。
- 聖地エルサレムならば、ユダヤ教、キリスト教、マホメット教によって、共同保守することも、あるいは、考えられようが、交通規則のほうは、左側か右側か、いずれかに割り切っておかなければ、世界交通として、まい日、事故続出となる。
- ともかく、現在、日本を含む多くの国で、歩行者は、右側となっているので、作法においても、すれ違いは、右側によけることとしておきたい。
【型2】相手が複数のとき
- 相手が複数で来たとき、つとめて、相手全体の右側を通り抜けようとされよ。
- 相手のうち、こちらとの異性が、こちらの近くの側に来てしまっても、このような場合、性別を無視されてよい。
(以前の作法は、こちらが、同性側を通り抜けることを、すすめていた)
【型3】背を向けるな
- せまいところで、むこうから来た人と、すれちがうとき、相手に背を向けず、胸を向けて、すれ違われよ。
- このとき、相手が、背を向けて、すれ違っても、「あわれな野蛮人」と思って、怒らないことである。
【型4】すれちがいの足さばきなど
- いま、こちらが、相手に対して、こちらから見て、右側を、通り抜けるものとしよう。
このとき、こちらの右足が前に出ていれば、こちらの胸を、相手のほうに向けることが容易である。
ところが、こちらの左足が前に出てしまっていれば、こちらの胸を相手に向けることは容易でない。
このとき、どうするか。
- こちらが急いでいないとき、1足、足ぶみして、右足を前に出されよ。
- こちらが、はなはだ、急いでいるとき、左足を大きく出してしまうが、同時に、左手を大きく、うしろに引き、こちらの胸を、相手に向けられよ。
【型5】女子を通す
欧米では、男子が、出入口にさしかかったとき、向かいから、女子が来たならば、女子を優先して通さなければならない。
【型6】すれ違い挨拶
水平標準身長 * (170cm)の所に、お互いがきたとき、相手側の足を出したと同時に、上体を、相手側に向け、相手の目を見て、会釈する。
相手とあいさつするときは、立ち止まらずに、歩きながら、短揖 * されよ。
総論44節「用語の約束」を開きます。
第5章22節【通解】「揖」を開きます。
- 相手との会釈は、相手と合わなくてもよい。
こちらが、気がついたとき、水平標準身長の所であいさつをする。
- あくまでも、目で、ものを言う。
- 相手と反対側の足を使わない。
第5章 立居振舞