第25節 アメリカ作法を見誤るな
- 毎年、アメリカ研修に行ってきた方の中に、いくばくずつ、作法ズレする方を生ずる。
- まず、アメリカ人の歴史が、ヨーロッパ伝統の否定から始まっているという特殊事情に気づいていただきたい。
そこで、アメリカ人は、多く、ヨーロッパ作法とか、本流作法とかに、揶揄を与える習慣を持っている。
- ときには、「お前たちの作法は、ほんとうの作法でない」と言う。「ほんとうの作法は、誠実であればよいので、形などどうでもよい」と言う。
- なるほど、アメリカのように人口密度の低い国では、そういう主張を持った人間がいてもよい。
- が、さて「形はどうでも」とあって、こちらがそのつもりになると、アメリカ人の中には、ひどく不機嫌な顔をしたり、こちらを野蛮人あつかいしたりする人がいる。
- これは、なにかと言うと、結局、アメリカには、アメリカ特有の形があるということ。
- さて、ある年、アメリカ研修に行って来た本校生の1名が、わたくしに告げられた。
「ブルーリッジ・アッセンブリーでは、食堂で、みんなが皿をスプーンで叩きながら、歌を唄ったりしました。それを、そこの先生たちは、笑いながら見てました。林先生の言われるテーブル・マナーと、まるで違うのです。はっきり言って、林先生の作法と、現代世界作法の時代のズレを見せつけられたと思いました」
- わたくしは、オヤオヤと思った。
この研修生は、現代アメリカのヤングの場を見て、これが、世界作法の本流であると思い込んでこられただけである。
- その翌年、本校生の1名は、夏に、アメリカに Home-stay に行って来た。
で、帰って来られて、わたくしに告げられた。
「なんていうんでしょう。家庭でスープを食べるとき、ひとりも、まったく、音をさせないんですよ。こちらが、スープの実をスプーンで割ろうと思って、少し、音をさせたら、あとで、その家の奥さんから、台所で、スープを、もう1杯、食べさせられました。音をさせない練習をしなさいって」
- なかなか、アメリカには巾がある。
これを言えば、日本にも、巾がある。
- で「標準」を知っているということの必要性を感ずる。
わたくしには、その標準を告げる義務がある。