第26節 一般と特殊
- この本で「こうせよ」と言っていることで、ホテルによっては、そうさせないところがある。
そのとき、この本のほうが一般的であり、そのホテルのほうが特殊であることを知って頂きたい。そのホテルの特殊さには、“ものごとを知らないから”と“ものごとを知っていて、わざと、ある特色を出すために、そうしているから”の2種類がある。
- 【例1】
- 洋食で、パンの代わりに、ライスを出されることが、日本では、ある。このライスを、この本では、“フォークですくえ”と述べている。こう習った、ある研究生が、卒業後、あるホテルで、食堂チーフになられ、そこで、部下従業員に、テーブル・マナーを教えられた。で、かれは、ライスの食べ方を、この本のとおりに教えられた。それを見ていたそこの専務取締役が、それは違うと言われた。その専務いわく、「ライスは、ナイフで切り、フォークの峰に、ナイフで押しつけ、それが、落ちないよう、ナイフで押さえたまま口に持っていくものだ。お前の出て来たホテル学校とやらは、どうかしている」
で、その卒業生は、東京に来られたとき、わたくしのところに立ち寄られた。「先生ので、ほんとうに、よいのですか」わたくしは答えた。「わたくしのでよい」
さらに、わたくしは、聞いた。「その専務さんは、どういうキャリアの方かね」と、「旅館の番頭さんを、過去7〜8軒やってこられた、練達の士です。戦前、外地でホテルのフロントもやられました」で、わたくしは申した。「ありがちなことだ。わたくしから説明してもよい」と、「いや、それはこまります。専務が、面子(めんつ)を傷つけられたとなると、あと、下の者としての立場もこまります」
で、わたくしは申した。「キミは、当分、そのライス処理の部分を、部下に教えないようにしたまえ。専務さんの言うとおりに教えれば、社として、恥をかく。また、正しいことを教えれば、専務さんに恥をかかせる。が、折を見て、専務さんに、わたくしがキミに教えたことを、お話し申し上げてごらん。ついでに言うがね、上役を持つと、必ず、いまキミが悩んでいるようなことが起こるもんだ。早く、それに馴れたまえ。ただ、こういったひとつひとつの間題によって、より上役の全体を下らない人物と見てはならんよ。人間に、下らない部分は、付きものだ。逆に、その専務さんのすぐれた部分を、あますことなく吸収させていただくことだ」
- 【例2】
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この本では、男子も、人前に立ったとき、「手前下」にせよと述べている。これを習った卒業生が、東京のあるホテルのウェーターとなられた。そのホテルでは、ウェーターが立っているときの「手前下」を禁じ、「手横下」に統一していた。で、その卒業生が、わたくしを訪問されたとき、次のような会話が行われた。
卒「先生の手前下には、国際性があるのでしょうか」
林「あるよ」
卒「では、国際性を誇りとする、うちのホテルで、なぜ、手前下にしないのですか」
林「少なくとも、国際人の1人として有名だったキミのホテルの創立者は、人前では、いつも、手前下にしておられたね。
キミも、ウェーター服をセビロに着替えたときは、手前下にすることだな」
卒「ウェーター服のときは、どうして、手前下にしないのですか」
林「キミは、ヨーロッパ中世からの、頭に長いカツラをかぶり、すその長い上着を着、ステテコのようなズボンをはいた宮廷服を着た人物の絵を見たことがあるか」
卒「あります」
林「あの服装のとき、人前では、手前下にしていたんだ。フランス革命以来、セビロという町人服でも、手前下が正式ということになった。テール・コート、タキシード、モーニングは、宮廷服とセビロの中間服として、あとから生まれてきたもの。これらのときも、手前下だ。ところで、軍人は、侍立のとき、手横下とするよう1600〜1700 年代から、変わってきたんだ。ウェーターという仕事のスタートは、ヨーロッパ宮廷での近衛兵の仕事であった。だから、いまでも、ウェーターの服装は、軍服の形をしている。となれば、ウェーターが侍立するとき、手横下のほうがよい。軍人は、“休め”の姿勢のとき、手前下となる」
卒「では、他のホテルで、どうして、ウェーターが、手前下にしているのですか」
林「ここには、2つの場合がある。その1つは、主として、アメリカのホテルが、ウェーターも、セビロのときの礼法でよいではないかと、1900 年代に入って、変えてきていることに、つきあっている場合。もう1つは、そこまで、知らないから、こんなことで、どうだろうと、やってみている場合。客が、そこまで、気の付かないとき、手前下のほうが、上等に見えるからな」
- 【例3】
- ある本校生は、夏の実習先のホテルで、そこの中堅幹部の方から、次のように言われた。
「キミの動作は、固くて、非人間的だ。こういう型にはまった教育をホテル学校でするからこまるんだ」
その実習生は、秋になって学校に戻ると、わたくしの作法授業を、なんとなく、申しわけに付き合うようになられた。
わたくしに言わせていただくと、この本校生は、元来、動作が固かった。が、解析的に研究しておられたから、わたくしとして、何も言わないでいた。
ただ、わたくしも、気になったので、そのホテルに出かけていって見た。見たものは、支配人以下の、なっていない、独特なクセを持った形であった。
ただ、わたくしとして、この実習生が、実習中、先方の言うことに素直であったことを別の意味で「作法に適っていた」と見た。
まもなく、この本校生は、もとのとおり、解析的に、しかし、ソフトに、作法を研究されるようになった。
- で、この本の「型」とある部分が、一般的であることを、信じていただきたい。
わたくしも、諸君に教えるにあたっては、この「やり方」の問題について、相当に真剣である。宮内庁、外務省にも、なん人かの先輩、友人がいるし、ハイ・ソサイティ育ちのなん人かの外人とも、多年のつき合いを持つ。ほんとうは、どうするのかについて、聞くに、事欠かない。
本物を知りもしないで、自分のホテルの客ぐらいが、どうしているかを見て、ああか、こうか思っている人たちの言葉を聞くまえに、諸君は、わたくしの言葉を聞きたまえ。わたくしは、だてに、諸君に、こうせよと申していない。この学校で、作法を担当するためには、それだけの勉強が要る。
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