第8章 特定の場所での作法◆第11節 ホテルでの作法
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第11節 ホテルでの作法
【参考】階次
- アメリカと日本は、1階は1階、ただし、ロビーのある階は L (Lobby)
- ヨーロッパでは、日本でいう1階が G (Grand Floor)で、2階から1階、2階とかぞえていく。
- アジアでは、概して、西に行くほど、ヨーロッパ式。
ただし、シンガポールは、ヨーロッパ式。
【参考】ホテル従業員の職種
- ホテルは、接客業であるが、直接、客に接しない従業員が、半分くらい、いる。
- 客に接する従業員の種類を、以下に示す。
- フロント系
ドア・マン、クローク、ベル・キャプテン(ページ・キャプテン)、ベル・ボーイ(ページ・ボーイ)、アシスタント・マネージャー、インフォメーション、レセプション、キャッシャー、コンセルジュ。
- 客室系統
ルーム・キャプテン、ルーム・ボーイ(ルーム・メード)、ランドリー。
- 食堂系統
レストラン・マネジャー、ウェーター(ウェートレス)、キャッシャー、クローク。
- ホテルのフロント一帯にいる従業員職種
- レセプション
宿泊手続
- キャッシャー
支払いを受ける。両替する。
- ドア・マン
到着客の車のドアをあけ、荷物を降ろし、車内に忘れ物がないかを点検する。出発客のために、タクシーを呼び、そのドアをあけ、荷物を積み、ドアを閉める。
- クローク
客の荷物をあずかる。
- ベル・キャプテン
到着客の荷物を、客室にはこぶ命令をする。出発客の荷物出しを客室からの電話で受け、ページ・ボーイに、とりに行かせる。小包用のダンボールとか、ひもとかを、客に与える。
館内の客の呼出しの命令。
- ベル・ボーイ
ベル・キャプテンの言うとおりに動く。
- アシスタント・マネジャー
客の苦情やなやみごとの相談にのる。
- インフォメーション
館内客宛の手紙、伝言のあずかり。館内客呼出しのうけたまわり。館外に出す手紙などの引きうけ。
劇場、ナイト・クラブなどの紹介と予約受付。
- コンセルジュ(ヨーロッパのみ)
インフォメーションとベル・キャプテンを兼ねた職種。
【型1】社会主義国のホテルマン
社会主義国のホテルマンは、病院の医師や看護婦と同じであると思って、応待されよ。
【説明】
どこの国でもそうであるが、社会主義国では、ことさら、そういう観念がつよい。
【型2】大声
昼間でも、そうであるが、夜、とくに、ホテルの廊下で、大声や、大きな笑い声を、出されないように。
自室から出て行くとき、自室に帰って行くとき、この注意が要る。
【型3】客室外での作法
- ホテルの自室のそとは、たとえ、真夜中でも、街中の表通りにいると同じつもりの服装をしていなければならない約束となっている。
- したがって、スリッパばきや、寝間着姿やズボンなしで、自室から、そとに出てはならない。
- ただし、海水浴場に接しているホテルでは、例外がある。しかし、このときも、人々のやっていることを、よく見てからしないと、物わらいとなる。
- また、部屋に、バスルームのないホテルにおいては、寝間着の上に、ガウンかレインコートを着れば、廊下までは、歩いてもOK。さらに、素足にスリッパで、廊下を歩いてもOK。
【説明】
- スリッパは、欧米から日本に入ってきた。で、日本では、屋内で靴を脱ぐから、畳の上でないかぎり、そこいら中で、スリッパを履くことが行なわれ、旅館の中では、食堂にまで、スリッパで出かけて行くことが許されている。
- ところが、欧米で、スリッパは、かならず、ベッドルームの中だけのもの。つまり、スリッパは、寝間着に対応するもの。
であるから、ホテルで、向かいの部屋に行くときですら、スリッパのままは、行けない。
【型4】客室内での作法
- こちらが、ホテル・ルームで、はだかとか、下着姿とかでいるとき、外から、ノックされたならば、Just a moment, please で、ワイシャツを着、ズボンを穿いて、それから Come in ! と申されよ。これが、日本人には、できにくい。
素足でも、スリッパを穿いていればよい。
ホテル・ルームでも、ハダシはダメ。
- 夫婦でない者同士、ホテルで同室するときは、そこに、スリッパを脱いであることを、そこに、パンツを置いてあるのと同じと考えられよ。
で、自分は、できるだけ、相手から離れて、脱がなければならない。
- 下着(パンツ、アンダーシャツ、ズボン下、靴下)とタオルをホテルの異性従業員に見せることを、セクシアルな開陳を感じさせてしまうということ(日本と異なる感覚)。
(もっとも、日本でも、男性が、女性のパンティ、シミーズ、ブラジャー、ストッキングが投げてあるのを見れば、なにかを感じよう)で、下着とタオルは格納するか、定位置に下げて置くか、きちんと、干して置くかされよ。けっして、ぶんなげて置かれないように。
- ホテル・ルームに同室者がいるとき、パンツ、ズボン、靴下、靴の着脱には、つとめて、バス・ルームを用い、バス・ルームのないとき、相手に背を向けて、遠慮した形で行なわれよ。
- ルームで、はだしにスリッパを履いているとき、脱いだ靴下は、靴の中に入れておくもの。
ベッドの上、スーツ・ケースの上、イスの上、机の上などに置かないこと。
【参考】
日本の旅館に、酒や食物を客が持ち込むことは、旅館に対する契約違反となる。このことは、欧米のホテルでも同様である。ただ、客室に持ち込んだ食品を、飲食することは、ホテルの場合、公然と認められている。で、くれぐれも、食堂で持ち込み食品を、ひろげられないように。うめぼしぐらい、塩コンブぐらい、よいであろうと思われるな。
ホテルの自室の中に、仲間が集まって、酒もりなどをすることは自由であるが、隣室などに、その声が伝わると、まずもって必ず抗議がくる。日本人は、日本の旅館で、から紙のむこうに伝わる声を、気にしない習慣を持つので、この点でよくへマをやる。欧米のホテル客室も、結構うすい。
【型5】ベッドの取扱い
- ベッドの取扱いについて、つぎの注意が要る。
- ベッドには、ベッド・カバーがかかっていることが多い。これは、ベッドのうえで、持ち物を、分類整理したり、靴ばきのまま、寝ころんだりしても、ベッドの毛布などが、よごれないようにするためのものである。そこで、就寝時にいたるまでは、ベッド・カバーをかけたままとし、ベッドのうえを、いろいろに利用してよい。
就寝時には、ベッド・カバーを畳、イスの背などにかけるのが、一般的な形である
が、寒いとき、めんどうなときは、ベッド・カバーをかけたまま、もぐり込んでもよい。
- 起床時には、まくら、シーツ、毛布を、だいたい形よくしておくこと。ベッド・カバーは、大きく2つに折って、ベッドのすそのほうに、かけておくこと。
【参考】ベッド略史
- ヨーロッパでは、ラテン人から穴居をやめていった。が、西歴0年前後、フランス人、ドイツ人たちは、まだ、大部分、穴居していた。
- 穴居時代、夜、寝るときは、穴の中に、ぶあつく、乾しワラを敷き、その上に、毛皮を敷き、すっぱだかで、その上に、毛皮または毛布をかぶっていた。
- なるほど、冬季に、土は凍った。が、秋から、中で、火をたいていると、火の大きさにもよるが、そのまわり、半径3mぐらいは、厳冬でも、土そのものがホカホカと、あたたかいものである。これは、現代の実験によっても知られている。
- が、この穴居の中で、ベッドの前身というか、高床を張り、その上に、はじめは、ワラ、のちには、ワラぶとんを置く形が始まった。
この意味で、家屋よりは、ベッドの歴史のほうが古い。
- 穴居をやめたのは、人口があふれ、穴居適地から、はみ出た人たちが、森の中で、木の小屋の生活をはじめたこと、それから政権者が、洞くつよりも、もっと、守りやすい位置に戦火に強い石の家を建て始めたことによる。
- 人々は、穴居をやめても、その寝方を、穴居のときと同じにしていた。
土の上に直接寝る者は、火で、土間の土を、あたためつづけたし、ベッドを土間の上に置いている者は、ベッドを高くして、下からの寒気を防いだ。
こういうことで、ベッドの高さは、すぐ1mはあった。
- ただ、ベッドは、通常、巾2mぐらいのものが多かった。夫婦と、それに、乳児1名ぐらいまでが、そこで寝たし、ときには、なにかに、おびえた子供が、みんな両親のところに、くっついてきて、寝た。が、子供は、だいたい、床の上に、旅人のようにして寝ていた。
- 一般民家に木の床が張られ、その上に、ベッドが置かれたのはヨーロッパでも地方により、1000年のひらきを持つ。概して、800年代ぐらいから1700年代にかけてと見る。
これは、わたくしとして、ヨーロッパ各地の古い民家を見ていっての感じである。
いずれも、2階家以上になると、その2階から上に、いやいや、木の床を張っている。で、また、2階以上に寝るようになったところから、ベッドを、持ち上げている。よほどのことがなければ1階は、土間や石畳のままにしてあり、それを、連中は、好み、いまも、ほこりとしていると言える。
この点、日本建築の基本思想と、まったく、相反する。
- なお、1597年、ロンドンで、寝間着を着て寝る者があらわれ、それまで、寝るときは、裸であったヨーロッパ人が、寝間着を着るように、かわっていった。
しかし、わたくしの知るかぎり、いまでも、ヨーロッパには、寝るとき、すっぱだかになる人が、けっこう多い。そうしないと、よく眠れないともいう。
アメリカでマリリン・モンローが新聞記者からいつも、「なにを着て寝る?」と聞かれたところ、「シャネルの5番」と答えたというのなどは、欧米人の長年の習慣から見て、それほど、突飛な返事でない。日本人ならば、「殿方を夢にいざなう天竺(てんじく)香をたきこめた浴衣を着て寝てます」といったこと。それならば、源氏物語を読んでいるのとかわらない。
- では、旅人のためのベッドとは、どういうことか。
旅人がカネを持って、日常生活よりも、生活水準の高い生活を旅先に求め得るようになったのは、1700年代からであって、それまでの旅は、カネを持つ者も、つねに、日常生活以下の生活水準に甘んじなければならないものであった。
この点を、理解していないと、ヨーロッパの旅の歴史が、わからない。
- はじめ、旅人は、毛皮か、皮袋か、麻袋を巻いて、肩や腰につけて、歩いた。それを、地面の上に広げて寝ることもあったが、冬季は、農家のワラ小舎の積ワラの中に、それを入れさせてもらって、その中に入って寝た。
また、Hospitalis、Hospitel、Herbital、Herberge といった修道院経営の宿坊も、
木のゴツゴツした床を張ってあれば、まだしも、多くは土間のままであって、旅人がその上に自分の持ってきた毛皮や、皮袋を置いて、寝たものであり、そこは、「屋根があるのだから、ありがたく思え」といったものであった。
- 旅人が、住居に入れてもらって寝ることもあったが、そのときは、その土間とか、石の床とかの上に、毛皮を敷かせてもらうことがゆるされた。
また、その家から、毛皮を貸してもらえることもあった。
デカメロンなどに出て来る旅人が、その家の女房を寝取ったといった出来ごとは、この床の上に寝ていたはずの旅人が、こっそり、夫婦のダブル・ベッドに上がりこんで、わるさをしたということである。
いまでもヨーロッパのユース・ホステルは、ホステラーを床の上に寝かして平気でいる。また、そうして寝てみても、その割に、寒くない。そういう気候風土なのである。
- 1700年代からは、ぼつぼつ、Hostel、Hotel といった形のものが出来はじめたようである。が、そこでのベッドは、だいたい、夫婦用のダブル・ベッドが部屋の中に、ポカンと置いてあるだけであった。
つまり、カネを払えば、その1ルームを、独占できた。ダブル・ベッドに1人で寝る。
カネをケチれば、知らない相手と割勘で、そのダブル・ベッドに、いっしょに寝る。
女性が、ひとり旅することは、まずもって、なかったから、それで、別に問題はなかった。
また、男装をした女性のひとり旅というのも、こういう中から生まれてきた。
もっと、ケチれば、イスの上にも、床の上にも寝られたし、もっと、ケチれば、寝袋を持って、ワラ小舎に行けばよかった。
- 1735年ごろ、ドイツで、金属製シングル・ベッドがつくられ始めた。これは、シングルであることを目的としたのではなく、持ちはこびを容易にすることを目的としていた。
つまり、金属製にして、どっぷりと、大釜の中に入れて、煮てしまう。と、南京虫が死んだ。これを、定期的に行なう。フリードリヒ大王即位5年前で、まず、軍隊用であった。
ついで、これは、修道院用、病院用に広がった。
また、ホテルも、屋根裏部屋(マンサード)を売りやすくなった。ここには、かえって南京虫がいないとなったから。
- また、学生用下宿屋も、これを、さかんに、採り入れた。1743年になると、同じドイツ人のホテルから、この金属製シングル・ベッドを2つならべた twin‐bed、そうして twin‐room という形態を発生した。旅先では、夫婦が仲良くすることよりも、南京虫のいないことのほうが、大きなしあわせであった。で、twin の部屋は、「南京虫おらず」のレッテルが張られているようなものとなり、これも、よく売れた。
また、twin‐bed のほうが、知らない者との相部屋のときも、よく眠れるにきまっていた。
で、twin system は、急速に広まった。
- ドイツのホテルが、設備の点で、常に、世界のトップを行くようになったのは、こういったことを動機としている。
後年のアメリカのスタットラー革命のスタットラーも、ドイツ系アメリカ人である。
- ただ、そうは申すが、このシングル・ベッドは、家庭用、ことに、夫婦用としては、もうひとつ、伸びなかった。夫婦が抱きあって、眠るとき、天使の恵みを受けるという信仰もあったから、そのためには、twin では、あいだがゴロゴロして、うまくないし、下から風もあがって来る。
- ホテルのほうも、夫婦者を泊めるためを思えば、すべてをシングルとかツインにするわけにも行かなかった。
- 1972年夏、本校研究科卒業生2名と、わたくしの3名は、ヨーロッパ5500km ドライブを楽しんだ。というよりも、苦しんだ。計画が荒っぽすぎたからであるが、その中でホテルに泊まって歩いてみると、概して、ツイン・ルームにエキストラ・ベッドを入れたので、やっていけたが、ときどき、ダブル・ベッドとエキストラという形に追い込まれた。そういうとき、わたくしは、尊敬していただいて、エキストラのほうに寝たが、研究生は、ダブル・ベッドで、仲良く寝ており、夜中には、わたくしが、うち1名の毛布独占を、公平な形になおさねばならなかった。
つまり、現在も、いっしょにブッキングした者は、どんどん、ダブルにねかせてしまうのが、連中のしきたりである。別に、お客さまに対して、わるいという意識はない。
- その前の年であったが、わたくしは、1名のヨーロッパ人男性と、ヨーロッパを旅行していた。そのときも、たびたび、かれと、同じベッドに寝かされた。で、こういうときのベッド・ルームでの履物についての作法も必要となってくるのであった。それにしては、ベッドの話が長くなったが、まあ、観光産業マンにとって、大切な話であるから、お許し願おう。
- 同泊者をダブル・ベッドに追い込む習慣は、ヨーロッパに限らない。
1973年、わたくしは、ハワイであった太平洋地域学会に出席した。アメリカ、カナダ、日本、韓国、フィリピン、オーストラリアの学者の参加を得た。
A東大教授と、その一番弟子のB博士は、日本側の幹事役であって、大ホテルの大ルームをもらった。その部屋には、たべものや酒があるから、朝、わたくしは、そのルームにたずねていった。と、A教授のごきげんが、よくない。B博士はと見ると、すみのほうに小さくなっている。どうしたかと聞くと、A教授のたまわく、「Bと、ダブル・ベッドに、いっしょに寝かされた。見ろ、そのベッドだ。Bのやつ、寝るときだけ小さくなって寝たが、夜中に大いびきをかく。オレをけとばす。で、オレは、しかたがない。イスに来て寝た。とんでもないハワイの第1夜だ。あと、これが1週間続くのかと思うと、憂鬱だ」。つまりハワイも欧米式であった。
【型6】一時自室を去るとき
- ホテル・ルームで、従業員が、夕方、ベッド・メーキングに来ないところでは、客が、ベッド・カバーをはずし、これをたたんで、ワードローブに入れなければならない。
- 防塵と保温のため、窓を閉める。これは、一般的マナーである。
- たとえ短かい時間でも、電気を消して出なければならない。
【型7】ホテルを出発(Checkout)するときの整とん
客室に掃除人が来る前、または、そのホテルを出発するとき、つぎのことを励行されよ。
- 毛布に一応の形をつけ、たたんだベッド・カバーをその上に置く。
- イス、テーブル、屑入れなどを、原型に戻す。
- 引き出し、ハンガー、カーテンなどを、原型に戻す。
- 蛇口をしめる。
- 屑物を屑入れに入れる。
- コップ、ビン、センヌキなどを、机上にあつめる。
- すべての窓をしめる。(夏においても)
- ベッドのまわりや、その他、床上、引き出しのなか、ワード・ローブのなかなどに、落とし物がないかを、点検する。
- 脱いだスリッパをそろえる。
- 使ったタオルをオン・ザ・フロアする。
- すべての電灯を消す。
- ルームのドアを、きちんと閉められよ。この点、日本旅館と異なる。
ホテルに泊まる旅行をされるとき、これをチェック・リストにして携帯されるとよい。
【説明】
現代日本人だけが、こういうことを知らない。
【型8】キー
居室のカギの処理方法について、つぎの注意が要る。
- ホテルによって、フロントが、客に、大きなカギ札のついたカギを渡し、外出する客は、これを、フロントに預けられるようにしている「フロントあずけ方式」のところと、小さなカギ札をつけたカギにして、つまり、ポケットにも入れやすいものとして、外出する客が、持って出るようにしている「客持ち方式」 のところとがある。
- 伝統的な方法は、「フロントあずけ方式」であり、ヒルトン・チェーンあたりが、フロント事務の省力のために、「客持ち方式」をとっている。
- 「フロントあずけ方式」のホテルで、カギを外に持って出ても、とがめられないし、「客持ち方式」のホテルで、外出のたびに、フロントに預けにいっても、一応、いやな顔はされるが、預かってくれる。
- ただ、近年は、この2つの方式があるということを知っておく必要があり、投宿したとき、そのいずれであるかを、カギ札の大きさから察知しなければならない。
- 問題は、「客持ち方式」のとき、2人1室であれば、カギを持っていないほうが、先に、帰舎したならば、自室に、はいれない。こういう場合、カギは、やはり、フロントに預けることがよい。