第24節 肉料理(鳥肉)
【型1】鳥肉の食べ方
- 鳥のうち、野禽(うずら、もずなど)は、手で持ち、くいちぎって、食べてよい。
家禽(にわとり、あひる、七面鳥など)は、ナイフ、フォークで食べられよ。
- ただし、家禽でも、「どうぞ、手で召しあがれ」とばかり、紙ナプキンを出されたときは、手で、食べられよ。あらかじめ、肉の持つところに、紙を巻いて出されたりすることもある。が、これは、骨かくしであって、「持て」という信号でない。
- 鳥の足を、ナイフ・フォークで処理する方法
ナイフで切ろうとしても、コロリと逃げる。トリの足は、1本の棒のように見えても、だいたい、中に、関節が入っている。ここを、はじめに、ザクリと切り離すのが、コツである。が、この関節が、また、どこにあるのか。
上図について、まず、関節のありそうなところを、トリの足の棒状に沿って、いくばく、ナイフを入れてみて、関節の在り場を探知する。
つぎに、a のところをフォークで刺す。このとき、鳥の足を、いくばく、水平に回転させないと、こちらの身体全体を、回転させなければならなくなる。ただ、フォークの自然な向きに合致するまで、回転してしまうと、こんどは、ナイフを、使いづらい。このときのフォークの持ち方としては、奇妙な持ち方に変えてよい。ただし、手を、こぶしにしてはならない。
そうして、A のところを、◎ 印のところまで、ナイフで切る。骨と骨とのあいだが、あいていないから、ここは、ナイフを、ほぼ垂直に立てて、2つの骨を左右にこじ分けることになる。ナイフの持ち方としては、通常の持ち方のままでできる。
つぎに、フォークを、b のところに移転する。そうして、ナイフで B のところを切り離す。
あとは、ゆっくり、考える。
鳥料理において、骨つきのチキンなどの場合、皿に盛るとき、骨の見えるほうを右側に置く。
【参考】七面鳥
- 七面鳥は、もともと、中米のマヤ王国のものであった。680年代に、これを、多く飼っていた記録がある。
- 1520年代に、スペイン人が、これを、ヨーロッパに伝えた。
- それが、スペインから、まず、トルコに移され、そこで、ふえてから、主として1600年代に、イタリア、フランス、イギリスと広がっていた。
- で、英語では、これを、「トルコにわとり」 Turkey hen と呼び、のちに、ただ、Turkey と呼ぶようになった。
胸の形が、トルコの地図に似ているから、そう呼んだなどと、何かの本に書いてあったが、そうでない。
もっと、ひどいのは、「トルコという国名は、七面鳥のような形をした国ということである」などと、ある日本製ガイド・ブックにあった。とんでもない。
- 卜ルコという国名は、ペルシア語の、Turk = Strong である。それが、AD300〜700年ごろのギリシア語で Tourkos となり、AD700〜1500年ごろのラテン語として Turc または Turcus とされ、そのままの形で当時の英語にもなった。現在の英語では Turkey (ターキー)としている。
- 七面鳥を、どうして、クリスマスに食べることにしたか、まだ、知らない。
「クリスマスだけは、肉食しなかったが、どうも、さびしい。ちょうど、回教国トルコの鳥が入ってきたから“よかろう”と食べることにした」という説明を聞いたことがあるが、疑わしい。
- もう1つの説がある。
「1620年、イギリスの清教徒 Pilgrim Fathers たちが、メイ・フラワー号で、はじめ、西インド諸島の中の Mont serrat 島 Plymouth に漂着した。で、これから、アメリカ開拓の苦難の道が始まるのであるが、そのとき、アメリカというところには、ニワトリが、1羽もいなかった。で、代わりに、七面鳥が、少しいた。清教徒たちは、神様が、ニワトリの代わりに下さったものというので、これを大切にして、クリスマスのときだけ、食べることにした。で、アメリカでは、のちに、これが、開拓者たちの誇りある祭りの食べ物となった。
ちょうど、日本で、ある苦戦のときの籠城食であった雑煮(ぞうに)が、正月食になったようなもの。
このアメリカのクリスマス食が、1800年代になって、ヨーロッパにも広まった。
この説のほうが、うなづけるような気もするが、わからない。