第10節 姿勢
【通解】姿勢の種類
- 姿勢には、つぎの種順がある。
- 座姿勢(ざしせい)
正座 (せいざ)、半正座 (はんせいざ)、屈座 (くつざ)、休座 (きゅうざ)
- 立姿勢 (たちしせい)
正立 (せいりつ)、半正立 (はんせいりつ)、屈立 (くつりつ)、休立 (きゅうりつ)
- みんなで作法練習するとき必要になるので、こういった名前をつけたが、もう少し、スマートな名前があると、一層、よい。
- このうち、座姿勢であるが、ここで 「座る」 といっているのは、イスに腰かけることであって、このほかに、イスなしの座り方として、日本での 「きちんとすわる」 「あぐら」 「半跏跌座」 「結跏跌座」 「たてひざ」 がある。
【型1】正座
- イスに深く腰かけられよ。
- イスは、浅く腰かけるものでない。
イス生活に、正味100年の歴史をも持たない日本人は、行儀よくするつもりで、イスに浅く腰かけるが、これは、かえって失礼である。
- イスに腰かけるとき、そのイスの 「重心垂線」 が、どのあたりにあるかを、見てとられよ。
「背もたれ」 のないイスならば、イスのまんなかに、重心垂線があろう。
「背もたれ」 のあるイスならば、イスのまんなかから、ややうしろに、重心垂線があろう。
- イスに腰かけたとき、自分の身体の重心垂線とイスの重心垂線を一致させようと意識されよ。
- 両足のかかとを、できるだけ、うしろに引かれよ。
- イスの下があいてないときは、仕方がない。
- イスの下があいていても、イスそのものが、あまり低ければ、無理である。
イスの下にかかとを入れるというが、イスに深く腰かけて、それを可能とする程度に行われればよい。
- 足の指は、床に付け、かかとは、空中に上げておかれてよい。
- このように、かかとを、うしろに引くことは、ヨーロッパ古来の作法である。
わたくしは、はじめ、これを聞いたとき、そのようなはずがないと思った。
なぜならば、古代エジプトの諸王の座像などを見ても、ひとつも、かかとをうしろに引いてはいない。
が、あとで知ったことであるが、これらは、背もたれに、上体をもたせかけたときの姿であった。
で、ヨーロッパ古来の人物の肖像画とか彫像とかを見てみると、それが、くつろいだ姿のものでないかぎり、なるほど、かかとをうしろへ引いている。
で、しだいに、これを、ヨーロッパ古来の改まったときの形として、認めることにした。
が、しからば、現在は、どうであるかというと、これは、第4種作法ぐらいに該当している。
もとより、小学校、中学校、教会で教えるわけでない。
あまり、よい言い方でないが、「教養ある家庭」 での子弟教育の中に、これが、含まれているようである。
では、この目的は、なにか。
足を前に投げ出していて、前を通る人のじゃまになってはならぬということであるか。それならば、わざわざ、イスの下まで、爪先をひっこめる必要もあるまい。
で、だんだん、調べてみると、これが僧職とか騎士とかの作法から来ていることが見当づけられてきた。つまり、「腰」 の固めが目的なのである。ということになれば、東洋でのイスを使わない正座とか結跏跌座と同一目的を持ったものである。
- 膝を重ねられてはならない。
- 膝の間は、男子で、手のにぎりこぶし1つから3つまで、女子では、ほとんど、つけて、おられよ。しかし、力を込めて、つけておられる必要もない。
- 腰を起こされよ。
- 腰のうしろに、タマゴを載せるくらいの気持ち。
- そこまで、「出ッチリ(尻)」 にしなければならないのかと思われよう。そこまで、されなければならない。男女とも。
- 現代日本人は、こういう形を、昔の日本のさむらいだけの形であると思っているが、これは、ヨーロッパでも、古代・中世・現代と伝わってきている形である。
- 女子が、こういった形をとると、子宮後屈になると、ひところ、言われたものである。ところが、人間が、それほど、弾力のない生物でもないことが、また、わかってきている。
- イスの背もたれに、身体をもたせかけられないこと。
- 肩の力を抜かれること。(腕はないものと思われよ)
首を左右に振ってみられよ。ラクに振れないならば、肩に力が入っておられる。
- 後頭部を天に向けられよ。(アゴを引く)
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- と申すが、ムリに、首を、上に押し上げておられよというのではない。
首が、胴の真上に載っておればよい。
- さて、これを、真横から、レントゲン写真に撮ってみよう。と、けっして、首が胴の真上に載ってはいない。
ほんとうに、そのようなことをすれば、死んでしまう。で、ムリでない限度に、そうしようと意識しておられれば、それでよい。
- この形の結果として、猫背でなくなられる。(ポケット・チーフを大きくしたとき、ことさら、猫背は目立つもの)
- わたくしは、はじめ、日本人は、骨格上、首が前に出ている人種であると思っていた。それで、男も女も洋服が、板につかないのかと思っていた。
ところが、海外に出てみると、日本人の2世、3世は、首が、胴の上にキチンと載っている。
日本人と同人種である諸東洋人を見ても、首が、胴の上にキチンと載っている。
さらに、日本人庶民の姿を画いた江戸初期以前の絵を見ると、首が、胴の上に、キチンと載っている。
で、気がついたのは、江戸時代265年間に、日本人が、卑屈な姿勢の持ち主にかえられたのであったということ。
幕末のとき、日本の人口は、約2,500万人であった。そのとき、公卿大名一族が数千人。武士が浪人まで入れて200万人。この範囲の人たちは、首を胴の上に、キチンと載せていた。このほかの、いわば92%の人々は、威張っていると思われないために、首を前に出していた。
明治以後、100年を経たが、まだ、日本人には、威張っていると思われたくないために、首を前に出すクセが残っており、他人が、首を胴の上にキチンと載せていると、「あいつは、威張ってやがる」 と思う、哀れなクセを残している。
「下郎。控えおれ。頭(ず)が高い」 「ヘイーッ」 といった265年間の訓練の成果を、もうやめなければならない。
- わたくしなりに、過去、数千名の青年と、つきあってきた。首を前に出している人物は、どれほど、頭のよい人物であっても、責任を執らず、ずるく、立ちまわる人物であった。経験的事実。
- シャツのうしろ襟に首を接着し、襟の前と肩のあいだに、すずしく空間をつくっておられよ。
- この結果、アゴを前に、突き出さなくなる。
- ただし、アゴを引くために、首に力を入れているようであってはならない。
- 首を胴の上に、キチンと載せたとき、こんどは威張っていると思われたくないための仕草として、首を、いくばく、かしげる方がある。
ある大企業体で、入社試験を、行なうとき、まず、学科で、採用予定人員の3倍を採り、面接で、それを、予定人員に、しぼっていた。その面接では、6名ずつのグループをつくって、ディスカッションをやらせていた。この中から、平均2名ずつを採るのであった。
で、どういう人物を採るのかと、聞いたところ、首が習慣的に、胴の上に、キチンと載り、そのうえ、首を横にかしげない人物を選ぶのであるという。
ディスカッションをやらせると、行儀よく姿勢をつくっていたのでは、負けてしまうと思い、めいめいどうしても、ふだんの姿勢がでる。そこを見るのであるという。
わたくしは質問した。
「首をよこに、かしげる人物が、どうして、いけないのですか」
すると、答は、こうであった。
「わが社歴も、これで、数十年になる。その間に、約1万人の人物が、ここの社員歴を持たれた。その人たちを見ていて、首を曲げる人物は、最後に責任を執らない人物であることが、ハッキリしてきた。ハラがすわっていないと申すべきか。人間としての、観念ができていないと申すべきか」
わたくしは、重ねて、質問した。
「気の強い人物を、お求めになるのですか」
すると、答は、こうであった。
「気の弱い人物でも、責任を執る人物は、首を曲げていない」
このことがあって以来、わたくしも、青年諸君を、観察しなおした。10年ほど眺めているうち、なるほど、そのとおりであることが、わかってきた。
姿勢は、心のあらわれであるから、形だけよくしてもダメである。が、大悟徹底の心とともに、姿勢についても、このことを知っておかれよ。
- 首をまっすぐに起こしていて、頭(ず)が高いと判断されるような企業体は、さき行き、伸びのない企業体であるから、こちらから、ご免をこうむられよ。
- 首をまっすぐに起こしているとき、「お前は頭が高い」 などと思ったり言ったりする先輩・仲間は、ともに親しむに値しない人物であるから、つきあわれるな。
- 姿勢の訓練方法
- 背筋をまっすぐにし
- 肩を上にあげ
- その状態のまま、後方に引く
- 下におろす
- 胸を高く、そして、固定して静止しておく
- 腹部を内がわに引く
この方法は、大林先生がおすすめしている1つの方法で、声楽家は、この方法を行なっている。ご参考までに。この姿勢で行なうと、横隔膜が開くので、声がよく出るのである。
- わたくしは、下手ながら、1つの文句をつくっている。
「かかとをうしろに、腰起こし、肩力抜き、後頭天 (こうとうてん)」
この 「後頭天」 というのが、「エビ天」 「イカ天」 に似ているというので、まい年、笑われる。わたくしは、自分の心の中で覚えている言葉なのであるから、まあ、これでよいと思っている。
しかし、いっそう、よい表現方法があれば、かえてよい。
- つぎは、手である。「手前下 (てまえした)」 とされよ。
「手前下」 とは、つぎのとおり。
- 左の手の腹を、右の手の甲と完全に重ねる。(図1)
- 中指同士の向かう角度を、ほぼ、直角とする。(図1)
- 各4本の指を、根もとから直角に折る。(図2)
- おや指は、手の甲から離さない。(図3)
- どの指にも、力が入っていないように。
- そのまま、両腕を、だらりと下げる。
- 手のおや指の付け根一帯で、下腹部を、かるく、押さえる。
- 手袋を持っているとき、この下になった右手で、持つ。
【説明】
手前下において、左手を上にするのは、古くからの伝統であるらしい。
また、男女の飾りについて、やはり、左にアクセントがおかれている。
(ブローチ、ポケット・チーフなど)
- 緊張しているときのみ姿勢をよくしているが、笑ったとき、くつろいだとき、姿勢が崩れる方が多い。幹部たらんとする者は、この点に注意されよ。
- この正座を長く続けていて、苦痛にならないためには、ゴルフの上達と同じく、背中と腰の筋肉のつけ替えを要する。
筋肉のつけ替えのためには、つねに、思い出しては、正座につとめるより、ほかはない。
【説明】
- 正座すると、エゴが、足の裏 (というが、裏は、臍下丹田) に行く。
すると、大局的判断によく、決断力も出てくる。
- 屈座すると、エゴが、眉間に行く。
すると、分析的判断によい。
- 正座による判断力と、屈座による判断力は、人類が与えられている2つの能力であるから、それぞれ、駆使されよ。
【説明】
- 「手前下」 で、右手を中がわにすることを、絶対視される必要はない。
写真に向かって、左端、つまり、並んでいる本人としては、右端の方が、写真師の希望によってか、手前下の左手を中にし、右手を上にしておられる例もある。こういうことによって、絵が締まる。
- さて、手前下で、右手を中、左手を上にしたとき、そこに、持ち物があれば、右手で持つことになる。扇子は、元来、右手に持つ物であるから、手前下のときも、至極、自然に持てる。
また、傘、花束は、左手に持つ物であるが、これらを持ったとき、手前下をしないから問題がない。
また、ハンドバッグを前膊にかけるときも、左腕に掛けるが、このとき、手前下をすれば、ハンドバッグが、前膊から落ちてしまうので、ここでも、問題を生じない。
また、帽子なのであるが、アメリカで、国旗の前で、帽子を胸にあてて、直立するとき、その帽子は、右手に持つ。また、日本で天皇陛下が、中折帽を振られるとき、右手に、お持ちになる。また、軍帽のような挙手礼するキャップを脱いだとき、右手に持つ。で、こういうとき、問題はない。
ところが、シルク・ハット、山高帽、中折帽といったハットとか、ゴルフ帽のような挙手礼しないキャップを手に持つときは、左手で持つ。これは、握手のために、右手をあけておくため。手袋も、左手で持つ。で、そういうとき、手前下をするには、左手を中にされよ。
【型2】半正座
- これは、正座を、いくばく、崩した形であって、生活の中の、はなはだ多くのときにそうなっておられるとよい形である。
- まず、「かかとをうしろに」 は、変形してよい。
- また、オブリーク oblique (斜め) でもよい。イスが低いために、両足をそろえて、右とか左とかに、たおしておられる形。欧米では、男子でも行なっている。ただし、両かかとも、後ろにしておられること。
- 片足は、後ろにしているが、残りの片足は、前に投げ出している形。
half-back。これでよい。ときどき、その足を交替する。
- 足を組むことは、けっして、しない。
- 正式な場所においては、正座をされよ。片足だけ後に引いているのでは、休めの姿勢である。
- 「腰起こし」 は、正座と同じ。ただし、イスに背もたれがあれば、それに身をもたせかけておられてよい。けれども、そのために。腰が寝てしまうことのないように。
- 「肩力抜き」 も正座と同じ。
- 「後頭天」 は、したり、しなかったりする。というのは食事をしたり、文字を書いたりするとき、後頭天では、なにもできない。
- 手は、「手前下」
- ただし、イスに肱かけがあり、身体を入れるところの巾がせまければ、肱を肱かけに載せていることが自然である。そのときは、手の先は、それぞれ、肱かけの先を握っている。「手肱かけ」 と名付けておこう。
これを、ムリに、肱かけの間に、肱を落とせば、肩が押し上げられてしまう。
- 文字を書くとき以外、机上に、肱を載せられないように。
- ただし、ヨーロッパでは、机が前にあるとき、片手、または、両手の先を机上に載せていることのほうが、正式作法とされる。「手卓上」 と名付けておこう。
「手卓上」 が正式の作法であるなどとは、日本で考えおよばぬことである。(これは、ヨーロッパ流であって、現代アメリカでは、いっさい載せない)
- 分離式手卓上
- 両手をそれぞれ、卓上に載せている。
- 両手首の間隔は、どうでもよい。
- 手首の関節を、卓上に載せられないように。
- 指の形は、どうでもよいが、ただ、こぶしを握られたとき、親指で、人さし指のつくるX型の部分を隠されるか、それとも、X型の中に入れられるかされよ。
- 手卓上は、片手だけでもよい。(そのとき、残りの手は、膝の上)
- 結合式手卓上
- 卓上で、両手の指を組んでおられてもよい。
- 片手を軽く、こぶしを握って、残りの手を、その上に載せておかれてもよい。
- 片手をのばし、残りの手を、その上に載せておられてもよい。
- くれぐれも、卓上に、肱(ひじ)を載せられないこと。
- 目上の人、お客様の前で、腕組みをされるな。
しかし、日本では、真剣になって考えるとき、自分1人のときはもとより、相手がいても、かつ、相手が目上であろうと、腕組みをする。
これは、真剣さを表わす1つの表現となる。
そこで、社内での会議などにおいては、目上の人がいても腕組みをしてもよい。また教室内においても許される。
ところで、先年、本校生がアメリカ研修に行き、夏期大学の授業で何名か、腕組みをしていたところ、先方の講師が、こちらからついていった講師に、休憩時間に、聞きに来た。
「こん回の諸君は、わたくしの意見に反対なのであろうか」
こちらの講師は、「いや、まったく、そういうことはない」
先方講師いわく 「でも、授業中、何名かは腕組みしていた」
で、こちらの講師は、“ところかわれば、品かわる” であるなと思った。
で、諸君は、少なくとも、欧米人の前で、反対意思を表明するとき以外、腕を組まれるな。
- ところで、「腕組み」 と 「腕持ち」 を区別したい。
「腕持ち」 とは、両肱の手の腹を持ってきてもよいし、また片方の手を、だらりと下げ垂げ、その肱に残りの手を持ってくるような場合もある。
「腕持ち」 は、欧米でも、反対意見を表わしていない。
- 手を後ろで組まれるな
手を後ろで組むことはけっしてなされるな。
もし、なされる場合、片腕だけとされよ。
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- 足呼吸をしておられること。
- 手持ち無沙汰に待たされているとき、半正座を用いて、たとえ何時間でも、形を美しくしている習慣をつけられよ。
【型3】屈座
- ロダンの 「考える人」 の形であって、ものを分析的に考えるときによい。
- エゴは眉間に置かれよ。
- 足の形は、どうあろうとかまわない。
【型4】休座
- 全身の力を抜き、休息するときの座り方である。
- 注意として、イスだけは、深く腰かけておられること。
欧米のホテルのラウンジで、イスに浅く腰かけ、半分、寝たように座っているのは、だいたい、日本人である。はじめ、わたくしは、イスの奥行が深すぎて、日本人の場合、深く腰かけられないのであると思った。で、そういう人物を、1人ひとり、観察した。で、けっして、イスが深すぎるのではないことがわかった。
つまり、日本人はソファーとセズロン (寝椅子) の区別がつかないのである。また、休息しているとき、どんな形をしていようが、自由であると思っているのである。
もし、こういう、寝そべったような形をしたければ、ホテルでは、自室で行なうことである。ラウンジは、やはり、パブリック・スペースの一部分であるから、寝そべれない。
- それから、大きく、股を、開いておられないこと。
女子は、つとめて、両膝を近づけられよ。男子でこぶし3つまで。
(もし、外国に行ったときも、和服に袴をはいておられるときは、股を、ガッとひいておられてよい。むしろ、そのほうがよい)
- 注意として、足を組まれるとき、膝の上に膝を載せる形であるが、太ももの上に、太ももを載せる形はよくない。
「膝の上に膝」 のほうが、上に載せてある足の先が前に出てしまう、が、それで、前を通る人のじゃまにならないときだけ、この足型がゆるされるもの。
日本人は電車の中で、この足の形をとるから、前を通る人に、足を蹴られないために、つい、太ももの上に太ももという形をつくるクセがついている。
プール・サイドのデッキ・チェアに、みんなで足を組んで座っているのを見たとき、日本人が、いちばん、デロレンとしているクセに、足だけは、太ももの上に太ももを重ねているから、なにかに飢えているようで、貧相である。
【型5】机に腰かけたりするな
アメリカ式習慣を肯定するばあいも、観光産業マンは、とくに、ワイルド・カスタムを主張して見せる場合をのぞいて、机に腰かけたり、机に足をのせたりされるな。
【型6】片手にハンカチーフを
- 座っての対談中、つとめて、ハンカチーフを片手に持っておられよ。
- 両手を、なにかに使うとき、そのハンカチーフは、膝の上か、机上に置かれよ。
- これらのことは、男女とも行われよ。
【型7】正立
- 重心を、両足の 「まえふみ」 に置かれよ。
- 足の形
- 0度
正式 (一般の服装、一般の場所で目上に対するとき)
- 60度
軍隊調 (軍服に順する職服を着用したとき……ドアマン、べル・ボーイ)
- 両足びらき型 (肩幅を限度とする)
目上以外の者に対する場合と、ゆれる船舶、航空機、電車、バスの中での目上に対する場合にかぎり、認められる。
陸上に、船の中のようなキャビンを造ったとき、そこの店の者が、故意に、この形をとることは1つの演出である。
ゴルフ場、リゾート・ホテルなどで、ヨット・スタイルを援用しているという想いのもとに、故意に、この形をとることもある。
- 膝は、知らないうちに、ゆるんでくるものである。つとめて、膝をピンと伸ばしておられよ。
- 腰を起こされよ……正座のときに同じ。
- 肩の力を抜かれよ……正座のときに同じ。
- 後頭天……正座のときに同じ。
- 手の形。
- 「手前下」
形としては、正座のときに同じ。
目上の相手に対し、または、対等であるか、目下であるが、すこし、ていねいに扱ってあげようと思う相手に対し、こちらが立ったとき、または、立っているときは、必ず、「手前下」 とされよ。
- 「軟式手横下 (てよこした)」
これは、セビロ姿のとき、手横下とする形。
- 両手を、だらりと下げる……肱を張らない。
- 手は、うずらの卵を握っているように、ふわっとしておく。このとき、曲げた人さし指の作るX型を、親指で、かくすこと。
- 両手の親指のはらを、ズボンの縫い目につける。
- 「硬式手横下」
これは、軍服類 (したがって、ウェーター、ページ・ボーイの服装) のとき、手横下とする形。
- 両手を、のばす。
- 両肱を、胴につける。
- 両手首を、ズボンの縫い目につける。
- 両手のひらを、のばす。
- 両中指を、ズボンの縫い目につける。
- 親指と子指を、離さないこと。
- 「左手水平」
これは、元来、軍隊礼式であって、ホテルなるものが、ヨーロッパの王室迎賓館での礼式を受け継いでいるため、現在も、世界中のドアマン、ページ・ボーイ、ウェーターに、これらの形が行われている。
「左手水平」 の形は、オーバー、毛布、サービス・タオル、その他の布を、左前に懸けて持っているときの形である。
- 右手は、硬式、または、軟式の手横下とする。
- 左手を、だらりと下げ、しかし、前ぱくを床と水平にし、前胴 (みぞおち付近) に、軽くつける。
- 左手の指は、軟式手横下のときの指の形と同じ。
- 足呼吸
- 誰でも、自分を前から見た姿を美しくすることについて、すぐ、気が付く。
しかし、斜め後ろと、真後ろから見られているときの姿を美しくすることが抜ける。
【型8】半正立
- 足形、腰、手形は、すべて、正立に同じ。
- 「後頭天」 だけを、自由型に転じる。
- 両手をうしろにしているということは、日本では、縛られている形として、忌み嫌ってきた。
ヨーロッパでは、手を縛るとき、前で縛ってきたから、両手を後ろにすることについての抵抗がない。
かわりに、奴隷制が長かっただけに、自由民が奴隷に対するとき、両手を後ろにして、ふんぞりかえって立つという形があった。
この延長が、身分の高い者の身分の低い者に対するときの形として、そっくり、残ってきた。
明治以来、日本に来た外人教師、外人技師、外交官は、一般日本人に対し、しばしば、両手や片手をうしろにして、つっ立った。
また、ヨーロッパには、君主や名士の銅像が多い。その銅像には、片手をうしろにしている姿が多い。
で、日本の銅像作家も、それを見て来て、日本人名士の銅像を造るとき、片手を後ろに回わさせて造ったりした。
このような経緯を経て、日本人はセビロを着たとき、両手や片手を後ろに回わしたがる。
さらに、である。上司の前に立った部下が、両手をうしろに回わしたまま、「ハア、ハア」 と、頭を下げている。不思議な形である。
で、申す。セビロを着た以上、少しでも、慎みをあらわすためには、「手前下」 とされよ。そうでないときは、「手横下」 とされよ。
が、片手なり、両手なりを、後ろに持ってゆくのは、目下に対し、命令するとき、相手に対し、こちらの威厳を示すときの2つに限られよ。
欧米でと同様、日本において、そうされたい。
- ほんとうの紳士淑女というものは、自分の同僚や部下でない人物の前で、けっして、自分の手を、うしろに回わしたり、腕組みしたりしないものである。(自分1人のときは、かまわない)
- ところが、こちらが、相手の同僚でも部下でもないのに、相手が、そういう挙に出てきたものとしよう。
そのとき、こちらも、負けずに、腕組みしたり、手を後ろにしたりすれば、こちらも紳士淑女でなくなる。
そういうとき、こちらは、手横下か、手前下にしたまま、毅然としておられよ。
【型9】屈立
すべての関節を、曲げている立ち方。手型は自由。分析的に考えるときによい。
【型10】休立
立ってはいるが、身体中の力を抜き、自分の好きな形をしている。
休んでいるときの立ち方。
【型11】立っているとき、よりかかるな
立っているとき、けっして、壁、柱など、物に寄りかかられるな。
現代日本人のみが持つ悪癖である。