第13節 浴場
【参考】
- 世界中、人は、身体を洗う必要があるとき、川のなかに、ジャブジャブ、入っていたようである。
日本でも、いざなぎの尊の「みそぎ」のときから川に入っている。
そこで、世界中の集落や都市が、多く川沿いにできているのは、舟運、飲用水の事情のほかに、この河川入浴のための都合ということがあったと思われる。
- 日本でも、太古以来、人口分布は、温泉のない地域への分布を主としてきた。
で、桶に汲んだ水で、身体を拭くことが、身体を浄める方法の日常的な方法とされてきた。
この方法は、いまでも、各地に残っている。
- 平安時代には、大きなタライができるようになり、それに水や湯を入れて、その中に、座り込んで、身体を洗うことも行なうようになった。
いわゆる行水(ぎょうずい)が、この頃に、風習化している。
- 日本での温泉の歴史は、ことによると何十万年か前からのようである。
- が、温泉でないのに、湯をわかして、これに入ることは、まだ、始めてから2000年前後しか経っていないようである。
いずれにせよ、あまり大きくない釜をならベて、いっせいに、湯をわかし、それらの湯を、木製の浴槽に集めかえて、それに入浴したようである。
石けんがなかったから、浴槽の中で、ごしごしと垢をこすった。
で、浴槽の内側に布を張り、人が1名入るごとに、布をとりかえていたようである。
- 直(じか)焚きの風呂は、五衛門風呂からで、これは、やはり、江戸初期から普及したと見られる。
- ちょうど、時代を同じくして、蒸風呂が日本にも入ってきている。風呂ということばは、元来、この蒸風呂を指したらしい。
- 日本人の温泉浴好きは有名であるが、これは、国土に湿気のつよい地域が多く、汗がダラダラ出るし、また風と土の組みあわせで、細かいゴミが、身体にこびりつくことが多かったからでないか。
日本人が、とくに、そういう体質を持っているとは見ない。
- ヨーロッパの大部分の土地では、河川や池にとびこんだり、そうしないならば、水を浴びたり、布を水に浸し、しぼっては、身体を拭いたりしていた。
身体の皮が厚いのであるか、皮下脂肪が、多いのであるか、冷たさを感ずるための神経が、鈍いのか、そのへん、よく解らないが、とにかく、欧米人は、水に飛び込むことが、好きである。
そこで、たとえば、西ドイツのゴールデン・プランに見る通り、小さな村にも、1つずつ、水泳プールを造り、それを屋内プールとし、真冬でも、そこに飛び込むことが、最大のレクリエーション手段となるわけである。
この点、日本で、その形だけを真似て、水泳プールを、むやみやたらと造ってみても、もう1つ、必需性がない。
日本では、それよりも、公衆浴場を、多く、造ることのほうが大切という意見もある。
ともかく、欧米人の場合、湯に対する価値付けが、日本人より弱い。
そこで、たとえば、欧米でホテルに泊まったとき、「HOT」とあるコックをひねっても、水が出てきて水風呂になってしまうことがある。
で、日本人は、すぐ、フロントに電話する。
すると、フロントは「そのうちに、湯が出てくるであろう」といって、平気でいる。
わたくしなどは、こういうとき、バス・タブの底の栓を開けたまま、その「HOT」を出し続ける。
ひどい場合、20分位すると湯になってくる。
欧米人は、一般に、湯であると称して、水を売ることについての罪悪感が弱い。
ただし、これが、飲用であるとなると、けっこう、湯の温度に神経質である。
こういう水浴をベースとし、温湯浴をベースとしない習慣は、1つには、体質から来ると思われるが、もうひとつには、風土から来ていると思われる。
わたくしなども、日本では、だいたい1日おきには入浴しないと、気分がわるい。
それがヨーロッパに行くと、しばしば、1週間ぐらい、身体を拭くことすらしなくても平気でいられる。
つまり、空気が乾いており、風も少なく、その空気も、きれいであるからでなかろうか。
- BC 1600年には、クレタ島クノッソスの商人宿の浴室に、絵で美しく装飾された陶器のマジョルカ焼の浴槽が置かれていたという。
長さは140cm で小さいが、クレタ人が小柄であったので、これで、間にあったという、ただし、水浴であって、温湯浴ではなかったようである。
ちなみに、こん日の浴槽は、縦160cm、横60cm、高さ45〜50cm である。
- BC 800〜750年ごろ、ギリシア本土で、温湯浴の習慣が始まったらしい。
お湯をわかし、タライに入れて、腰湯をつかったようである。
- BC 410年ごろ、ギリシアで医学の祖ヒポクラテスは、温泉療法を勧めている。
かれは、病気の原因をストレスに置き、これの解消のため、適温の温泉につかることを勧めている。
- イタリアあたりも、湿気がつよく、かくて、ボンベイあたりに行って見ると、西暦紀元ごろの富豪の居館などは、総大理石の浴室を持ち、浴槽に入ったり、出て来て、大理石の長イスにねそべったり、そのまた、はずれで、裸体のまま、飲食したりしていたあとが見られる。
- AD 50年ごろになると、ローマで「公衆浴場利用制限令」が出されている。
このころ、ローマの大俗場が市民の姦通、乱交の場と化し、女マッサージ師が売春も行なうとあって、目にあまるものとなったという。
で、その制限の仕方がおもしろい。
というのは、「入浴を週1回に限れ」としていることである。
風紀の取締り方にも、さまざま、あるものである。
- AD 216年、ローマに、こん日も、その遺跡の残るカラカラ大浴場が完成した。
6,000名を収容し、娯楽室、休養室などが完備していた。朝6時から夜8時まで営業した。
カラカラ帝は、21代目ローマ皇帝で、在位 AD 211〜217年、足かけ7年間という歴代皇帝の中では短かい人であったが、就任の翌年、AD 212年に、全帝国内の自由民にローマ市民権を付与するといった「与える」皇帝であった。
- AD 290年代ごろには、ローマの公衆浴場が856軒に達している。
入浴の習性が、ようやく、市民の中に定着したといえる。
入場料は、現代日本の公衆浴場とかわりなかったらしいが、この中には、サービス料と身体に塗るオリーブ油代が含まれていたという。
- やがて、ゲルマン人が侵入してくる。AD 400年頃、ローマの大浴場の金物器具は、水道管もろとも、ことごとくゲルマン人たちに略奪されたという。
ゲルマン人は入浴について関心をもたなかったから、武器材料のための金物あつめのとき、入浴場も破壊した。
- 920年ごろ、フランスに浴場専属の理髪師という職業が発生した。
理髪師は、すでに存在していたが、浴場専属の形が、このとき、始まって、理髪業は、にわかに、隆としたものになった。
すなわち、湯上がりに整髪することが流行したためであった。
- 1100年ごろ、ローマ教会は、入浴・洗顔の禁止令を出している。
洗礼のとき、体に塗った聖油を洗い落とさぬためとされた。
このため、20年近くも、洗顔・入浴しない者が続出した。
しかし、これには、なにか、事情がありそうである。
洗顔禁止は、おまけで、入浴禁止がねらいでなかったのか。
その1つは公衆浴場での風紀びん乱が、再び、目立つものになってきたのでないか。
また、もう1つには、いまでも、ギリシア正教には、寒中にも、河にとびこむ「荒行」があるが、それが、ゲルマン社会にも広がり始めたので、ローマ教会としては、これを、激しすぎるものとして、批判したかったのでないか。
これ以上、強烈なゲルマン人にふえられては困るといった事情があったのかもしれない。
また、ヨーロッパ社会の底流にある水と油のすり合わせについての悩みが、こういう素朴な形で、爆発したのかもしれない。
それは、マヨネーズ・ソースすらが、かなり、あとでないと発生しないという社会にあった話で、つまり、油社会では、すべてを、油で、磨き上げる。
人の身体も、油だらけにしておく。死ねば、遺体を油漬けにする。
そういった油社会として、水仕事を、なるべく、蹴り出したい衝動があったのでないか。
もともと、ヨーロッパは、水がとぼしい。あるいは水があっても、飲めない水が多いのである。
- ところで、1110年代に入ると、ドイツ女子の間に、洗髪の習慣が始まっている。
まい週、かならず、洗髪するようになったという。
それまでは、2〜3ヵ月、はなはだしいときは、1年ぐらい、髪を洗わないことがあったという。
この洗髪には、銅や錫のタライを用い、このタライは、鏡にもするので、内側を、よく磨いてあったという。
この洗髪の風習が、どういういきさつで始まったかは、まだわからないが、入浴・洗顔禁止に対する1つの反発であったのかもしれない。
また、髪を洗うが、顔は洗わないということか。
それとも、銅や錫のタライが、大量に生産され始めたということか。
- 1130年代に入ると、イタリアで、新式の蒸し風呂ができた。
熱したレンガを金物の洗面器に入れ、蒸気を出すため、水を注ぎ、タオルにくるまって、洗面器の上に、しゃがむという、簡単なものであったが。
- 1140年代には、イギリスで、「公衆浴場取締令」を出している。
ここでも、風紀の乱れが目立ってきたわけである。
「修道女と人妻は風呂屋に行ってはいけない」
「女が男を風呂屋にひっぱり込んではならない」
- 1150年代には、フランスの浴場業者の理髪師が独立して、隆とした理髪店を経営するようになった。
この頃まで、理髪師は、ほとんど、浴場のおかかえになってしまっていて、三助などもやっていたわけであったが、カネはあるし、とうとう、理髪師組合をつくって、浴場主と利益配分について、対立し、けんか分かれとなって、独立した。
しかし、独立しても成り立つだけの消費者需要ができあがっていた。
- 1260年代に入ると、フランス、ドイツに、公衆浴場が、相ついで出現した。
ここでは、イスラム風の蒸風呂のサウナ・バスなどが歓迎された。
で、嫁入道具にバス・ローブ(タオル地で、半乾きの身体で着る、湯上がり着)とかタオルなどが喜ばれた。
- 1320年代に入ると、ウィーンで、サウナ・バスが大流行した。
これは、大釜で湯を沸かし、パイプで、その蒸気を送るものであった。男女とも湯巻きを着て、これに入った。
入浴料は、現在邦貨になおして、数百円のものであったという。
- 1300年代には、イタリアで、温泉ブームがおこっている。
歌声温泉、温泉ピエロなども出現して、庶民が大挙して温泉に押しかけたという。
入浴時間は、すくなくとも、100時間で、浴槽でいねむりし、溺死する者を生じたという。
- 1410年代には、ドイツ、フランスで、混浴パーティが流行した。
その絵を見ると、大きな桶に男女が2人で入り、男女の間に、板を置いてあって、その板の上に、ビール、ソーセージといったものを載せており、飲食しながら入浴をということである。
どうせ、これは、いかがわしいものである。
- 1460年代には、ドイツ、フランスの大都市で、公衆浴場税を制定している。つまり、公衆浴場が市民の憩いの場となっており、それへの課税が都市財政にプラスになるほどであったということ。
- 1540年代に、ドイツ領ネーデルランドでは、浴槽内で、男女とも、パンティまたは湯巻きを用いることを法律できめた。
浴場内乱行が、また、目にあまる状態になったということ。
が、この法律の効果はあまりなかったこともある。
- ところで、入浴しない人たちは、まったく、入浴しなかった。
たとえば、フランス絶対王朝の確立者ルイ14世(1638〜1715)などは、78年間の生涯を通じて、唯1回しか、入浴しなかったという。
それも、若いとき、すすめられて、温湯浴したところ、たちまち、湯あたりし、ひっくりかえったので、あと、死ぬまで入浴しなかったという。
かわりに、身体を拭くということはやっていたわけである。
- アメリカというところは、1700年代から、風呂に関するかぎり、なんでも持っていたようである。
ホテルも、ヨーロッパで、ホテルに風呂があるかぎり、アメリカでも、そうであった。
- そのアメリカが、ホテル風呂で、はじめて、世界の主導権を握る出来ごとをおこした。
1908年、バッファローに、バス・トイレ付きルームのホテルが出現したことである。
スタトラーのホテル革命である。
- 需要は創り出せると説く者がいる。なるほど、そうである。しかし、消費者が、夢に描いていなかったような商品は、消費者が、それを安定的に欲するようになるまで、100年は、かかる。
スタトラーは、すでにして、消費者の夢の中にあったものを造り出したにすぎない。
諸君は、この点を、見あやまらないよう。
さて、消費者の夢の中にあったものといえども、それを、いくらで、供給できるかということがある。
そうして、消費者が、その購買力に達しているか。
スタトラーの眼(まなこ)と技術革新は、この点においても、もっとも賞讃されるべきものである。
わたくしは、そう思う。
この点も、諸君は、生涯、しっかりされよ。
- シャワーは、1920年代に、アメリカで、はじめに、庭の草花に、水道の水を撒くため、ゴム・ホースの先につける穴のいっぱいあいた首っ玉として、開発され、すぐ、人間用に化けた。
水シャワーの皮膚に与える刺戟の効果が高く評価された。
- 湯のシャワーは、1930年代に、アメリカの中の、どこからか始まり、世界に広がった。
しかし、これは、ホテルから付きはじめたものである。
- 以上、水浴・温湯浴、温泉・普通風呂、家庭風呂・公衆浴場・ホテル風呂、入浴・洗顔といった区別なく、ほぼ、年代順に眺めてみた。
【型1】入浴遠慮時間帯
欧米のホテルでは、入浴を遠慮すべき時間帯のあることがある。
で、泊まったとき、ホテル・フロントに聞かれたほうがよい。
Guest : Excuse me, do you mind if I take a bath after midnight?
I'm afraid the water pipes make too much noise.
Clerk : I'm afraid so. (Don't worry about it.)
【説明】
- ヨーロッパのホテルでは、不文律として、22時から、朝5時まで、入浴を遠慮する習慣がある。
ことに、女子は、他の部屋の水を流す音を聞くと、眠れなくなることがある。
すると、起きあがり、入浴者の部屋のドアをガンガン叩く。
でなければ、フロントに文句を言う。フロントは、電話をかけてくる。
こちらは、石けんだらけで、入浴中止。頭に来る。
- 22時〜5時の間に入浴できないホテルでは、こちらとして、この時間帯には、洗面台に湯を張り、ウォッシング・クロースで、身体を拭いておくことになる。
- そのかわり、朝5時になったらば、まわりが寝ていようが、さっさと、入浴する。誰も文句を言ってこない。
【型2】入浴にあたって
- 足ふきマットを浴槽から出るところの床に敷いてから入浴されよ。
- 足ふきマットがないときは、中タオルをその代わりとされよ。
【参考】バス・マットの敷き方
バス・タブにかけてあるマットが布製ならば、それが「足ふきマット」である。
それが、イボイボの付いたゴム製ならば、それは、バス・タブの中に敷いて、バス・タブの中で身体転倒を防ぐ「転倒防止マット」である。
【型3】バス・タブ・カーテンの扱い方
- 入浴のためバス・タブに入っているとき、誰かが、とびこんで来て、こちらの裸を見る可能性を感ずるときは、カーテンを広げられよ。
- 用済後、カーテンは、片すみに、はねておかれよ。
【型4】カーテンの裾を入れないとき
シャワーを使わないが、入浴のため、カーテンを広げるときは、カーテンの裾を、バス・タブの中に入れられるな。
【説明】
もし、バス・タブの中に入れられれば、カーテンの裾についた自分の垢を、つぎの入浴者に伝搬することになる。
【型5】カーテンの裾を入れるとき
- バス・タブの湯を抜いてあって、シャワーを使われるとき、カーテンを広げ、その裾を、バス・タブの中に入れておかれよ。
- 用済後、カーテンは片すみにはねるが、カーテンの裾は、バス・タブの中に入れっぱなしとされよ。
【説明】
この場合のカーテンは、自分の裸を人に見せないためでもあるが、シャワーの水滴が浴室の床に飛び散らないようにするためである。
【型6】風呂の湯とシャワーを併用するときのカーテン
バス・タブにいっぱい湯を張ったまま、シャワーから湯水を出されるな。
バス・タブの湯を抜くことなく、シャワーを使うとき、カーテンの裾をバス・タブの中に入れるが、シャワーをつかってから、バス・タブの湯を抜き、シャワーで、カーテンの裾についている自分の垢をよく洗いおとし、カーテンを片すみに寄せても、その裾を、バス・タブの中に入れておかれよ。
【型7】足の水切り
バス・タブから出るとき、たとえ、外側にマットがあっても、完全に、腰から下の水を拭いてから、出られよ。
片足ずつ、ていねいに。
【説明】
このあたり、ずいぶんと、日本の風呂とは違う。
まるで、ひとりで、儀式をやっているようである。しかし、かならず、そうされるべきもの。
そこで、バス・タブのそとで、いかに、湯をかぶろうが平気な日本風呂は、よいものである。
西洋風呂での作法は、ガタピシの建物の2階以上で、入浴するためのものであって、それが習慣になっているため、建築技術が進歩している建物のときでも、それを守らないと嫌われる。
【参考】
いかに、コンクリート造りの建築物でも、床に水を流すと、かならず、どこからか、水がしみ込み、建築物の他の部分に出てくる。
日本のホテル・旅館が、大浴場を、2階以上に上げているのは、よほど、はやく、建築物の償却を済ませ得る自信があるのか、よほど、漏水防止工事に自信を持っているのかの場合をのぞいて、「おろか」であると申すほかはない。
水ぐらい、力の強いものはないであろうから。こういったことから、欧米では、バス・ルームの水が床にこぼれることをはなはだ嫌う。
【型8】湯のあとしまつ
- バス・タブの内壁面は、湯を張ってあった水面の高さのところが、入浴者の垢でよごれるものである。
で、湯をぬくとき、ウォッシング・クロースで、こするとか、湯を抜いてしまってから、シャワーの湯・水をかけ、ウォッシング・クロースで、こするとかすることが、客の守るべき最低作法の1つとなっている。
これを、日本人は、湯を張りっぱなしの風呂に入るときの習慣どおり、こすらないから、嫌われ、軽べつされる。
- バス・タブを洗ったあと、バス・タブの底を見ると、頭毛などの残っていることが多い。
これらを、よく、流しておかれよ。
【型9】オン・ザ・フロア
- ホテルのバス・ルーム備え付けのタオルは、その1枚を使って、もう1度、使いたくないとき、オン・ザ・フロアされよ。
- on the floor とは、客が、使ったタオルを、バス・ルームの床の上に投げて置くことを指すホテル用語である。
ハウス・キーパーの点検を必要とするための客の現代作法とされている。
- オン.ザ・フロアするためには、床を、あまり、ぬらさないため、タオルを、よくしぼったのちにされよ。
- ほんとうは、バス・タブの中に投げ込んで置くのがよい。
自分や同室者が、ルームのメーク・アップの前に、また、入浴する可能性を感ずるとき、はじめて、床の上ということになる。
- 床の上ではあっても、比較的、隅のほうにしないと、タオルに蹴つまずく人物を生ずる。
- 自分として、まだ、使おうと思っているタオルは、タオル・ハンガーに下げておかれてよい。
そのときは、きちんと下げられよ。
- 問題は、同室者のあるときで、こちらが、きちんと下げたため、それを同室者が、うっかり、使うかも知れないと見るとき、わざと、下整形に下げるとか、オン・ザ・フロアするとかされよ。
- さて、出発、部屋替え、正午をまたぐ外出といったとき、そのあと、このルームに入ってくるのは、ハウス・キーパーである。
で、こういうときは、客として使ったタオルのすべてを、かならず、オン・ザ・フロアされよ。また、浴室のドアを開けておかれよ。
【参考】
- ヨーロッパのホテルでは、元来、バス・ルームにタオルを配ってなく、タオルは、すべて、客の持参するものであった。
ルネッサンス期の絵を見ると、客が、宿泊施設を出て、馬車に乗るとき、ぬれたタオルを手に持っている、といった情景が描かれている。
- ついで、1700年代あたりから、客をルームに案内するとき、案内係が、客1名あたり、タオル1枚をいっしょに持っていって、客室に置いてくるようになった。
現代の日本旅館に似ている。
- ついで、1900年代当初、アメリカで、With Bath のルームがふえるや、ルームのメーク・アップのとき、バス・ルームに、ウォッシング・クロース1枚、フェース・タオル1枚を配って置くようになった。
ここでも、バス・タオルは、客の持参するものであった。
- それが、1930年ごろから、欧米の格式あるホテルでは、客1名あたり、つぎのように、配って置くようになった。
ウォッシング・クロース(日本では、ウォッシング・タオルともいう) 2枚
フェース・タオル 2枚
バス・タオル 2枚
- ウォッシング・クロースは、ハンカチーフぐらいの大きさである。
これは、要するに、垢すりであるから、身体中の、どこを、こすってもよい。
また、寝室で、水をこぼし、ティッシュ・ペーパーがないとか、それでは足りないといったとき、ウォッシング・クロースを持ってきて、拭いてよい。
ただ、そのあと、かならず、バス・ルームに、返しておくこと。
- フェース・タオルは、手拭いにしては、少し、大きいといったもの。
これは首から上と、手では、肱から前だけを拭くもの。
身体の、ほかの部分を、これで拭かれるな。
日本人は、バス・タブから出たときのマットがわりに、これを使ったりして嫌われる。
マットは、本来、ないもの。身体の水は、バス・タブの中で、拭きとってから出るもの。
- バス・タオルは、大きい。
全身の水をとり、あと、全裸を、それで包んで、寝室にいてもよいもの。
寝室で使ったあとは、バス・ルームに戻しておかれること。
- ついで、1960年代から、とくに、格式を考えるホテルを除き、再び、浴室タオルを申しわけにしか配って置かず、そのかわり、客が必要に応じて、何回でも、ルーム係に持ってきてもらう(チップ必要)という形式に転じてきている。
- なお、同じく、1960年代からの日本のホテルでは、客がホテル備え付けのタオルを持って帰る憂いが大きいので、あらかじめ、配って置くにしても申しわけに配って置くという特殊事情を生じている。情けない。
- そこで、日本人客が、欧米ホテルで、備え付けタオル数の少ないとき、じっと、がまんしていたり、とうとう、怒り出したりするのは、ヤボなのである。
【型10】入浴の際のその他の注意
- ヨーロッパのホテルの浴槽のそばに下がっている「引きづな」は、入浴中、気分がわるくなったとき、救護を求めて引くものである。
うっかり、または、みだりに引かないように。
- 湯水のコックが左右のとき、多くの場合、右が湯で、上下のときは、上が湯である。間違えられるな。
【説明】
日本では、英語の頭文字をとって、水をC(Cold)、湯をH(Hot)で表わしている。
ところが、フランスでは、F(Froid)で水を表わし、C(Chaud)で湯を表わしている。
また、ドイツでは、K(Kalte Wasser)で水を表わし、H(Heiβe Wasser)で湯を表わしている。
特殊なコックは、まず ①右に回わす ②左に回わす ③引く ④押す、の順で、湯を出してみる。
第8章