第23節 統一型作法と並列型作法
- 日本では奈良時代に、ご飯のことを「飯(いい)」と呼んでいた。
- 平安中期あたりからか、この飯(いい)は音読みして「飯(はん)」とも呼び、山法師あたりは「ありがたくご飯頂戴つかまつる」などと申し、これから武家用語として「ご飯(はん)」という呼び方が広まったようである。
- 「めし」という呼び方は、室町時代の宮中、ないし、貴族の殿中から生まれたようである。「お召しあがりもの」の略。
- 現代では、「飯(いい)」と呼ばないが、「ご飯」と「めし」と、二とおりの呼び方がある。
1つの物を指すのに2つ以上の呼び方があるのは、整理のできていない文化であると思ってもよい。
で、現代に米飯(べいはん)」という標準語を作ったものとする。しかし、「お腹が空いています。ベイハンをください」では気分がでない。
で、やはり、「ご飯」という言葉も残しておきたい。
さらに、「冷米飯に湯をかけ、塩昆布をおかずに……」といった表現もこまる。で、「めし」という呼び方も残しておきたい。
- 人間は、「標準語」と「俗語」を、2つながらに持ち合わせたい生物であるまいか。
- 作法にも、標準型に統一しようという動きと、諸流ならべ行なおうという動きがある。
たとえば、和食は箸で食べる。洋食はナイフ・フォークで食べる。それを統一のため、洋食も箸で食べようという主張が、明治時代以来、こん日まで続いている。
悪くないと思う。
が、逆に、和食も中華料理もナイフ・フォークで食べようという主張、ないし、実行があり得る。現に、欧米にある中華レストランに行ってみると、そこでは、中華料理もナイフ・フォークと欧米式のスプーンで食べている。悪くはあるまい。
また、とうとう、和食、中華、洋食のいずれをも、ナイフ・フォーク、箸、スプーンの全部を同時に駆使して食べようという標準化の考え方もある。これも良い。
が、並列の考え方も、また、良い。つまり和食や中華は箸で食べ、洋食はナイフ・フォークで食べるということ。
つまり「米飯」という言葉を用いず、ご飯、めしという呼び方を並列させておくやり方に似ている。
- 日本での作法は、和式、洋式、折衷式の三様を必要とする。たいへんであるし、同時に、いやらしくもあるが、少なくとも、観光産業マンは、この三様を鮮かに使い分けなければなるまい。
また、もし、国連政府なり、日本政府なりが、標準型作法を示せば、これすなわち、「米飯(べいはん)」という呼び方に類する。
このベイハンをも鮮かに使いこなして見せなければなるまい。
- 諸君は観光産業マンであられる。
作法の型にも、「標準」を求められる気持ちはわかる。もとより、それを求められてよい。
しかし、その標準的な型だけでどこでも押し切られると、諸君はオカシな存在となられる。
- ヤング、ことに、学生はそれなりに自分たちの型を持っている。それは、将来、多分に、その社会での標準的な型と認められて行こう。
しかし、そのヤング、ないし、学生が観光産業マンとなるためには、自分がいままで行なってきた型だけで押し切られないように。
- あわせて申すことがある。
日本のホテル・レストランで働いてきたヤングは、その職場にいたときの裏方での服装、態度、言語をホテル学校に来ても、そのまま用いられやすい。
それでよい部分もあるが、いけない部分もある。ホテル学校は、現代までの日本の業界での習慣となっている形態を是正する任務をも持っている。
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