総論 ◆第21節 作法と自然さ |
ある年、東京のあるホテルの課長であられる本校の先輩から、間接的に、わたくしの作法の教え方につき、忠告があった。それは、次のようなことである。
「当ホテルの新入社員に、2名のホテル学校卒業生が、含まれていました。その2名は、姿勢もよく、言語もはっきりしていましたから、新入社員オリエンテーションのとき、交替で、司会役を勤めてもらうことにしたのです。ところが、形だけの礼儀作法と司会進行の技能があるだけで、一座へのヒューマン・タッチがないのです。ホテル学校で、こういう教育を受けてきたことを、不幸に思うのです」
わたくしは考えてみた。その2名は、平素、すこぶるヒューマン・タッチの、むしろ、過多な人物であったから、不思議に思えた。
で、わかったことは、この2名が、「固くなった」ということである。
また、この2名が、平素、本校で、作法時間にだけ行儀よくしていたグループの中の2名であったことも思い出した。
作法が、板に付いていないから、改まったとき、固くなる。で、ヒューマン・タッチどころでなくなる。
で、ここに、関係のないようなことを述べるのであるが、車の運転を固くなって行なっていると、事故に至る。では、固くならないために、諸操作をいい加減にやっていれば、やはり、事故に至る。
どうすればよいかと言うと、正確な動作を、いつも、行なっていることである。すると、いつとはなしに、その正確な動作が板に付いて、ソフトな弾力のある運転を生み出すことになる。
作法も同じであって、相手側に、これらの作法を感じさせるようでは、まだ、作法としてできていない。
なんとなく感じがよく、打ち解けあえるという「見えない作法」が、本物の作法なのである。