第18節 心と型
- 作法とは、「型」であるが、その中心は「心」である。「思いやり」の心といってよいが、もうすこし、くだこう。
- 「真心」と「慎み」である。
- 「真心」について、少し、述べよう。
Entertainer(エンターテーナー)という言葉を知っておかれよ。
「もてなしびと」と訳してもよい。
が、この言葉の気持ちは、相手の気持ちになって、思いやる心の持ち主ということである。
が、これでも、まだ、言葉の気持ちが、よく出ていない。
「親心(おやごころ)」を持って、相手を扱う者ということ。
- Entertainer は、相手に甘えさせる。
Entertainer は、「わたくしにお頼りなさい」というムードを持っている。
- 「慎み」とは、固くなっていることでない。固くなると、相手は、打ち解けない。
慣れても、狃(な)れないことである。
- 「心」があれば、「型」は、ついてくるか。ついてこない。
ここには、技能について、知り、訓練することを必要とする。
- 「心」があれば、「型」は、どうでもよろしいか。ダメである。
作法は医術のようなものである。下手な作法は、下手である。作法は、相手のために行なうものである。その相手が喜ばない。
- しかし、次のような場合はどうか。
- よその家の子供が遊びに来ていて、こちらのガソリン缶のそばでマッチに火をつけた。
で、こちらは、飛んでいって、その子供を突き飛ばし、マッチの火を踏み消した。
子供は、すかさず逃げて帰っていった。その子の親がやって来た。
「うちの子が、何をしたか知らないが、どうして、こんなにけがさせるような手荒なことをしたのです!」
子供が爆死するのと、軽いけがをするのと、どちらがよいか。子供にけがをさせたほうが、作法にかなっている。
- ホテルが火事になった。火がまわっていたので、従業員は部室のドアを叩き壊し、寝ていた客を、そのままの姿で、非常口に追いやった。客が寝ぼけているので、頬っぺたを、2つ、殴ってやった。客の着物も荷物も、すべて焼けたが、客の身体はどうもなかった。この従業員は、不作法であったか。
この従業員は、大きな作法にかなっている。
- このように考えてみるとき、「心」があれば、「型」は二の次の場合もある。
- では、「心」がなくて、「型」だけ上手なのは、どうか。世間では、これをも作法と見ているかも知れない。が、これは、作法でない。
しかし、これを作法と見るから、「作法など、くだらない」ということにもなる。
- 「心」がなくて、「型」もめちゃくちゃなのは、どうか。これは論外。
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