第8章 特定の場所での作法◆第7節 宗教施設での作法 |
無神論者が宗教施設をさげすむのは、やむを得まい。ただ、宗教施設の中で、故意に、その雰囲気を破壊するような行動に出るのは、1つの暴力である。
また、いつの日か、世界の宗教は1つになるであろう。
世界の宗教が1つにならないあいだ、各宗教のあいだには、大小の対立がある。
が、もし、人の宗教および信仰生活を妨げることにつき、肯定している宗教があるとすれば、それは、邪教である。
われわれは、自分が無神論者であろうと、信仰者であろうと、自分の信じない宗教の施設に入ったとき、「つきあう」姿勢を持つべきではなかろうか。
わたくしは、道教信者でない。が、台湾に行ったとき、道教寺院を見学に行った。そこには、多くの信徒が、敬虔な祈りを捧げていた。かと思えば、たのしそうに、みんなで、大笑いしていた。そこに、アメリカの兵士が、数名、入ってきた。口にチューインガムを噛みながら、軽蔑し切ったような仕草を、いくつかして、ぐるぐると見たのち、出ていった。
そのあと、イギリスの海軍士官が、3名ほど、入ってきた。軍帽をとり、左手の小脇にかかえ、粛然と、本殿のほうに進み、3名、ならんで、きちんと、頭を下げている。それから、構内を、礼儀正しく、参観した。わたくしは、この3名の士官に興味を覚えた。かれらが、寺院から出ようとするとき、わたくしは近よって、たずねた。「あなたがたは、この宗教の信徒であられるのですか」すると、かれらの1名が答えた。「いいえ、われわれは、クリスチャンです」そういうと、3名ともニコリと笑って、出ていってしまった。そのあと、わたしは、しばらく考えていた。
まず、アメリカ兵士のほうが、正直であると見てみよう。すると、イギリス士官は、うそつきであることになる。これは、異民族統治に慣れた狡猾さである。
しかし、もうひとつの考えが浮かんでくる。ことによると、この3名は、ほんもののクリスチャンであるかもわからない。そういえば、先刻、かれらの1名が「われわれはクリスチャンです」といったあと、3名、そろって、わたくしにニコリとしたまなざしは、「キミは、日本人だろ。わかっているよ。おたがいに、心から、仲良くしていこう。キリスト教も、キミたちの信ずる諸宗教も、この地表のみんなが、心から手をつないでゆくこと以外考えていないのだから」といっているようでもあった。
宗教施設の入場料は、非営利のものであるから、これを納入した参観者は、「カネを払った客だぞ」という気持になるべきでない。
自分の信ずる宗教でなくとも、1つの宗教施設に入るとき、かならず、帽子を取られよ。
【説明】自分の信じていない宗教の施設に入られるときは、ことさら、入口で、軽く、黙礼されよ。
【説明】
たとえ、他の人たちが、そうしていなくとも、あなたは、そうされよ。
たとえば、よその家に行ったとき、その家の者は、その家のあるじに、お辞儀をしないであろう。が、来訪者は、お辞儀をするであろう。これと同じに考えられよ。
団体で参観に行ったときなど、急がされたり、迷子になりそうになったときなど、走ってしまうし、すくなくも、足音をたててしまうのが、自然である。が、ここを、たしなまれよ。
【型6】小声宗教施設の中では、できるだけ、沈黙を守り、声を出さねばならぬときも、小声とされよ。
【説明】日本人は、よく、海外の宗教施設の中で、大声で「はやく、はやく」とどなったり、ベチャベチャ、おしゃべりしたり、大声で笑ったりしている。で、きらわれる。
【型7】つとめて座れ宗教施設の中で、像とか、壁の彫刻とか、ステンド・グラスとかを眺めるときは、なるべく、しゃがむか、イスに腰かけるかされよ。すると、立って見ているのとは、ことなる見えかたがしてくるものであるし、他の参観者の邪魔にもならない。
【型8】カメラ作法自分の信ずる宗教施設の中で、異教徒や無信心の者が、無礼な行動をしていたならば、たしなめて、さしつかえないし、それに、言うことをきかないならば、つまみ出して、さしつかえない。
【説明】宗教施設の中は、公開してあっても、その宗教での掟や考え方を守る者にのみ公開してあるものである。
【参考】