林講師にまつわる話は 夥(おびただ)しい数、いろいろありますが、こんなことがありました。
あるときの日曜日、青山の林講師のご自宅に朝の6時に訪問しなければいけませんでした。
ところが、ご自宅の門前に着いたのが、6時ジャスト、慌てて呼び鈴を鳴らすや否や、スピーカー越しに「このぐうたらなまくらは帰れっ」といきなり大声で怒鳴られてしまいました。たった1分の遅刻だったのです。
真冬でしたので、夜も明けぬ時間、辺りはまだ真っ暗闇。しばらく、林邸の前で途方にくれ呆然と立ち尽くし、渋々帰宅しました。当然、その日は「欠席」扱いです。
林講師の説く「ホテルはタイムインダストリー」を体で教えてくれたのです。
わたくしどもは定刻「15分前主義」を徹底的に叩き込まれました。
あとから判ったことなのですが、『林講師宅訪問心得』と云う立派なテキストが学校にあって唖然としてしまいました。
体も大きく、喜怒哀楽も大きい林講師は、手も大きく、大きい拳で研究生の顔を殴ることも平気でした。
ある研究生は鼻血で顔面血だるまになった者もいました。
また、新調したばかりのネクタイを無惨にも切り裂かれたうえ、2階の窓から捨てられてしまった者、はたまた、お茶を顔面に見事にかけられた者、ワインなんかもあったように記憶していますが、なにせ、ことほど左様に、常軌を逸した(と思った)蛮行ぶりといったら、とても筆舌に尽くしがたい。
もっとひどいのになると、入学したその日に、退学させられた“犠牲者”もいました。
この手の林講師の鬼気迫るような「椿事」は、話し出したらキリがありませんので、紙面の都合上、その紹介はいつかまた別の機会に譲ります。
学徒動員により、東京帝国大学を繰り上げ卒業後、林講師は、近衛兵第三連隊へ入営、第一航空隊教育隊に分遣され、第七航空隊に曹長として配属されました。終戦後は内務省に復帰しています。
宜なるかな、林講師の体罰は軍隊仕込みの筋金入りであった訳です。
それはもう、林 講師の怖いのなんのって、怒鳴られると、研究生全員、体が縮み上がる。
学生時代陸上選手として鍛え上げられた190センチ近いがっしりとした巨体は、腕っ節が強く、ケンカは御手の物。ヤクザ(ご本人はUGと申していた)にも平気でした。
下手に反論すると、鬼の形相で目をむいて怒ります。あれはまさに鬼の顔でした。
この「下手に」と云う意味は、「おっしゃることはごもっともですが」と申して、ああ云えばこう云う、そんなスットンキョウを弄して、その場しのぎのご都合主義に走る「逃げの用兵」のことです。
林講師は決してこのような「ずるい」人間を、問答無用、容赦しませんでした。
もしも、万が一、云っていることと、やっていることが違うのに、聞き手を煙に巻いて、みつくろう癖のある者が研究生であったりなんかしたら、林講師は、そんな食言癖がある手合いを、「なまくら」と呼び捨てるや否や、先制パンチの洗礼を見舞い、許しませんでした。
「言もひとなり」の研究生は、結局、全員畏服してしまいました。
「解決できない、改め得ない者は、切る」林講師は、どんどん、やめさせました。入学したときいた52名の研究生のうち、卒業できたのは38名でした。
昭和54年3月15日、ホテルニューオータニはローズルームでの卒業謝恩会でのこと。
「鬼」の林講師が仏になったのです。あんなに優しくて満面笑顔の師のお顔は、ホテル学校に入校して、お目にかかったことがなかった。
林講師の笑みを‘目撃’したのは、ご自宅に研究生を招き、万里夫人ご自慢のイギリス料理に舌鼓を打って、相好をくずされたときでした。
この日、わたくしどもを、初めてひとりの「ホテルマン」として、お認めくださった。
林講師は英語で「The best is yet to come.(これからがまさに本番であるぞよ。)」と申され、卒業生1人ひとりに、固く握手をされ、研究生としての艱難辛苦に対して、暖かいねぎらいのおことばをかけてくださいました。
しかも、「浅野様」と様付けの敬称で。まるで慈父のような林講師、あまりの嬉しさで感極まり、涙をこらえることができませんでした。
来賓として臨席されていた林門下生のおひとり、われらが大先輩、ホテルオークラの橋本保雄顧問(当時ホテルオークラ専務)に、林講師は、誇らしげに、われわれ卒業生を、1人ひとり紹介してくださったものです。
まるで、アメリカ映画の『愛と青春の旅立ち』の士官学校の卒業式のシーンそっくりで、林講師がまさにあの黒人鬼教官なのでありました。
林講師は一流のホテルマンを育成するに当たって、研究生の「心と姿と行為を立派にする」ため、「あえて、人間の尊厳を無視した」のです。
恩師のことば。
「本当の一流ホテルというのは、雰囲気です。
雰囲気を即物的にいうと、味はもうギリギリまで出ていますから、そこから上は、においと音響です。
まつげの長い女性は男性にとっては記憶に残るのですが、音はまつげの長さみたいなところがあります。
それから平安時代で言えば、袖の香ぞする、最後にはやはり香りです。
結局、一流とはその辺で決まると思います。」
(『世界の一流ホテル(THE LEADING HOTELS IN THE WORLD)』KKワールドフォトプレス刊)
蓋(けだ)し名言を残されて、昭和58年8月30日未明、恩師 林 實逝く。満64歳でした。従五位 勲五等 瑞宝章授与。
いま、わたくしの手元には故人の遺作集『林 實の未来物語』があり、28年前の在りし日の先生のお姿を忍んでおります。