第4章 美容と服装 ◆第6節 男子頭髪
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第6節 男子頭髪


【参考】頭髪史概観
  1. 神はアミーバから始め、サルを経て、ヒトを創られたというのが、わたくしの見方。
    そのサルのとき、もう、顔と尻だけは、つるっぱげになった。
    なぜであろうか。
    人は、100万年前、まだ、全身に毛が生えていたと見る。
    80万年前に火を使い出し、50万年前には着物を着出し、1万年前には織物を持っていたと見る。
    その1万年前には、ほとんど、現代人とかわらぬ毛の生え方まで来ていたようである。
  2. さて、なぜ、東洋人は、黒毛で西洋人はブロンドなのか。
    動物を見ると、雪の中の動物は白く、ツンドラ地域のは黒く、温帯のは茶色で、熱帯のは、思い切った、さまざまの色をしている。
    黒毛人はツンドラ人の子孫で、ブロンド人は温帯人の子孫なのか。
    ここらは、人類学者に、うかがうこと。
  3. なぜ、東洋人は直毛で、西洋人はカールしているのか。
    また、なぜ、アフリカ人は、グルグルと巻いているのか。
    毛の断面を顕微鏡で見ると、次図のとおり。
    図:16
    直毛人は、水の多いところにいて、いつも、水中に入ったり、水をかぶったりしていたから、水切りがよくなるように直毛になったという見方もある。わからない。
  4. なぜ、男は毛を短くし、女は毛を長くしてきたか。
    男は、女より多く、とびはねるから、毛が長すぎると、木の枝にひっかかったりするからか。
    あるいは、そうであろう。
    髪の毛を、まとめて切る鋭利な刃物は、2万年前には持っていた。
    男が、首か肩あたりで、髪の毛を切るようになったのは、だいたい、5千年前のようである。
  5. 直毛人男子は、ここ、5千年くらい、結髪してきたようである。
    同じく直毛人女子の中にも、最近2千年くらい、結髪する者があらわれ、次第に、ふえたようである。
  6. 日本人男子は、有史以来、頭髪を、後頭部で、しばっていたようである。
    さらに、両耳の前に、「みずら」と申して、補助の結髪をしている者もあったようである。
    が、「みずら」を結っているときでも、頭のてっぺんの分け目を、はっきりとさせてはいなかったようである。
    と言うのは、櫛(くし)が、それほど発達していなかったからであろう。
    図:17a
  7. 「みずら」をやめて、後頭部の結髪も、上のほうに持っていくようになったのは、唐の影響と思われる。
    時代として、奈良・平安期。
    かわりに、まげを入れておく「冠(かんむり)」を着けるようになった。
    庶民も、みんな、着けていた。
    で、この段階でも、頭のてっぺんの分け目は、あいまいのままであった。
    図:17b
  8. 室町期、人口が急増すると、ことに、応仁の乱以降、冠をかぶる者は、限られた人たちとなり、大部分の国民男子は、無冠で、後頭部の上のほうに結髪し、僧侶用のかみそりが、一般人の間に普及するとともに、「さかやき」を剃り上げるようになった。
    半分、僧侶になったと思えということでもあろうが、若くても、老人のような分別を感じさせ得る。
    で、ここでは、頭のてっぺんの分け目の問題がなくなった。
    図:
  9. いっぽう、ヨーロッパに広がった人種は、ケルト人、ゲルマン人、ラテン人の順である。
    ケルト人は、多分に、東洋的な人種である。
    つぎに、インドから出て、バルカン山脈に沿って、その北側を、そのまま、ドナウ河沿いに、西北行していったのが、ゲルマン人。
    つぎに、インドから、黒海に出て、1つにはトルコから、1つには、バルカン山脈の東西からギリシアに入り込んでいったのが、ラテン人。
    西北に進んだゲルマン人は、長髪。つまり寒いから。
    地中海にひろがったラテン人は、いまのパリジャン刈り。つまり、暖かいから。
    図:18
  10. ヨーロッパ人は、共通に、髪の毛がカールしている。
    長髪にしたゲルマン人は、カールしている以上、髪の毛の束が、ひとりでにできるので、ほとんど、結髪しなかった。
    ぐっと、さがって、西暦紀元前後で眺めよう。
    ゲルマン人は、寒いところに住んでいたし、まだ多く、穴居していた。
    ゲルマン人は、しかし、当時までの文明程度において、頭髪に油をぬって、分けるようになっていた。
    毛の束が目の前にさがらないようにするためである。
    その油は、バタであった。
    ほかの油も塗っていたが、バタは、手近に入手しやすかった。
    実際、欧米人は、現在も、そばに寄ると、バタくさい。
    そのくささは、バタを多くたべるからであるが、元来、体に塗っていたわけである。
    「やけどをした? バタを塗りなさい」
    「しもやけをつくった? バタを塗りなさい」
    男女とも、唇をバタだらけにして、キスをする。
    われわれは、五平餅を食べたあと、ミソだらけの唇で、キスをしない。
  11. 西暦421年。それまで、ゲルマン人だけが長髪であったものを、ローマの青年たちが、マネするようになり、ローマの老人、貴族たちが、これを、怒った。 伝統的なラテン文化を破壊するものであると。
    ことに、ローマの青年たちが、頭にバタを塗り始めたから、これは、許せないということになった。
    「なんという野蛮なマネをする!」
    が、これは、まもなく、地中海特産のオリーブ油にかわった。
    しかし、ローマ青年の長髪化は、あきらかに、ゲルマン文化への屈服であった。
    当時の西洋史年表を眺めてみられよ。
    その前後にあったことと比較されよ。
    それ以来、全ヨーロッパは、王さまから乞食まで、長髪であった。
    図:19
  12. その西欧なるものが、頭髪を短くし始めたのは、1800年代後半である。
  13. で、1960年ごろから、ゲルマン、アングロ・サクソン系社会において、1つの復古運動としての長髪化、ラテン系社会において、これも同じく、パリジャン刈りが行われ始めた。
    これは、復古運動というが、ただ、古いものに還ろうというのでない。
    行き詰まった現代文明とは別の新文明への可能性を求めるため、いちど、原点に還ってみようというものである。
    そこで、ヤングの中には、1万年前型、2千年前型、600年前型、150年前型と、バラエティがある。
    理髪代も高いから、ふところの寂しいときほど、太古に戻る。
  14. 日本で1871年(明治4年)、中国で1912年ごろに、男子に断髪令を出したということは、欧米に歩調をあわす仕事であった。
    日本では、そのはじめ、長髪のオール・バック、ついで、短いオール・バック。
    そうして、西欧人のように、分けてもみた。
    そうして、面倒であるから、3分刈り、5分刈り。とうとう、角刈り。
    そのような流行の変遷とともに、欧米一般の当時としての現代風であった短髪で分けるという形に定着化した。
  15. 敗戦後は、自由という名のもとに、めいめい、試行錯誤している。
    若いところは、1945年以降、GI刈り、スポーツ刈り、長髪、パリジャン刈りと模倣していっている。
    たまたま、西欧での復古運動に、知らないで、同調しているわけである。
  16. わたくしは、まだ、長髪の流行する以前から、みずから、長髪をつづけていた。
    それだけで足りなくて、45才ごろからは、あごひげも伸ばし、その長さ30cmぐらいにしていた。
    いま思えば、あのころのほうが、テレパシーに鋭敏であったように思う。
    総じて、髪の毛を長くすると、それが、何かのアンテナになっているように思う。
    モーセもイエス・キリストも孔子も、誰もかも、みんな長髪であった。
    えらい人物は、みんな長髪なのである。
    それを、ホテルマンだけ、短くしなければならないのは、仕事のためと申せ、気の毒なことである。
    けれども、そのわたくしも、山登りとか、体育とかいうとき、長髪が、邪魔になっている。
    で、風俗としての長髪・短髪問題は、東洋人の場合、一生のあいだに、伸ばしたり、切ったりしていればよいと見る。
  17. ただ、黒毛は人から見て、強い。
    人柄とか美とかをつくるとき、ブロンドや栗毛の人たちのマネだけをすると、化物となる。
    このことを知られよ。
  18. つぎに、日本人の感覚には、土台、頭のてっぺんを、きれいに分けるという思想がなかった。
    そこで、現代も、なるべく、「モシャモシャあたま」にしようと考え、その「モシャモシャあたま」が、自分に似合わないというとき、「オール・バック」を考え、それも、似合わないというとき、頭を分けはするが、分け目を、それほど、きちんとするわけでない。
  19. また、日本人の毛髪は、一般に、固くて、分け目をつけにくい。
  20. が、この日本人も、欧米流の服装につきあい、さらに、頭髪を分けようと決心した以上は、完全に、あいまいでなく分けることを知っていないと、朝、洗面せずに、人前に出て来たと同じに見られることとなる。
【型1】頭髪をきちんと分けよ
  1. 頭髪を、いささかも、乱されるな。
  2. 男子は、頭髪を分けるとき、きれいに、1直線となるよう分けておかれよ。
【通解】
  1. 男子観光産業マンたる者、自分の理髪ぐらい、自分でやること。
    わたくしも、ひとりもののときは、そうしていたし、いまは女房にやってもらっている。
  2. 観光産業マンとして、ほんとうに自分にあった髪型を得ようと思えば、どれほど、うまい理髪店でもダメで、自分で行なうよりほかない。
    自分で行なうと、最初は下手であるが、すぐに、うまくなる。
  3. 観光産業マンは、忙しい。理髪店は、時間がかかる。
    自分で行なえば、15分もあれば、充分である。
  4. 床のうえに、新聞紙を4〜6枚、広げて、すっぱだかになって、そのうえに、あぐらをかいて、手かがみを持って、前にも、鏡を置き、自分で行なうこと。
【参考】男子整髪用化粧品の種類
図:22
  1. トリートメント
    痛めた髪を保護するために使用する。
  2. シャンプー
    髪を痛めないために使用する。
  3. リンス
    フケ、カユミを止め、髪をしなやかにし、整髪を容易にする。
  4. ヘア・トニック
    頭皮、毛髪に栄養を与え、フケ、カユミを止め、脱毛を防ぎ、髪の成長を促進する。
  5. ヘア・クリーム
    柔らかな髪、パーマ・ヘアに使用し、つやのある健康な髪を保つ。
  6. ヘア・リキッド
    普通の髪の人が使用。整髪性がよく、ソフトで自然に仕上がる液体整髪料。
  7. ポマード
    堅めの髪の人が使用。髪のスタイル作りの決め手として、どのような髪の人にも使用できる。
  8. ヘア・チック
    部分的な整髪に最適である。
  9. ヘア・スプレー
    整髪の仕上げを持続させるために使用。
   5. 6. 7. 8. の化粧品を使用する場合は、ドライヤーを併用することを勧める。

【参考】短時間に整髪するための一例
図:23

洗髪のあと、ポマードを髪全体に付け、ドライヤーを使って整える。
そのあと、分け目、前髪などにヘア・チックを塗り、ドライヤーで整える。
最後に、髪型が崩れないように、ヘア・スプレーを使用する。

【型2】男子のパーマ
  1. 男子は、パーマネントをかけるとき、第三者がわからない程度にされよ。
  2. つまり、特別のくせ毛のときのみ、それを矯正するため、パーマネントを用いられよ。
【型3】髪を固められよ(男子)

男子の中で、くせ毛や伸びてこない毛の人もいるが、その人も油をつけて固められよ。
くしを通しただけで、ごまかしてはならない。
観光産業マンは、動く商売であるから、それに耐えるような髪でなければならない。


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