第3章 環境保持◆第3節 ゴミ処理
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第3節 ゴミ処理


【通解】
  1. 環境を、よごすことと、清掃することのバランスのつくり方には、つぎの3種類のものがある。
    第1種
    みんなが、捨て放題に捨て、いつも、よごしているが、太陽や雨などの分解作用によって、ゴミが、大自然の一部にかわっていくというバランス
    第2種
    みんなが、一定時間、捨て放題に捨て、よごし、それから、係の者が、大々的に掃除するというバランス
    第3種
    みんなが、そこを、よごさないように保っており、それでも、すこしずつ、よごれたところを、係の者が、掃除しているというバランス
  2. 以上の3種類のほかに、中間的なシステムの場所はない。
  3. いつもそこが、ごみ処理システムとして、第何種の場所であるかを判断されよ。
    で、欧米都市には、この第1種である場所がない。農村には、いくばくある。
    欧米で、第2種の例を探すと、パリの地下鉄ホーム、灰皿の付いていないロサンゼルスのバスの中といったものが典型である。
    欧米で、第3種とは、家庭、ホテル、公園、大学構内、寺院構内、道路上、などがその例となる。
    そこで、ひとびとが落としているから、「おそらく、ここは、第2種の場所であろう」と考えたり、「第3種の場所であろうが、まあ、よかろう 」と考えたりすることをされるな。
  4. 国際的習慣から見て、日本人の大部分が、ごみの捨てかたにつき、まったくの野蛮人であることを、知っておられよ。
  5. 環境美化
    1. ゴミをさっと拾え。
    2. さっと整頓せよ。
  6. 対人
    1. 人の出入りに対して、さっとドアを開けたり、閉めたりせよ。
    2. 人のスリッパ、靴をさっとそろえよ。
    3. 人が上着、コート、オーバーを脱ごうとするや、さっと脱がせよ。
      同じく、着せよ。
    4. さっと、メモをとれ。

【型1】第3種の場所について

日本人は、神域を、よごさず、公園をよごしている。
神と自分とは、直結するが、神とみんなと自分とを考える習慣が、まだ育っていない。
あるいは、社会自治という習慣が、ほんとうに、根をおろしていない。
で、いま、欧米に出かけていって、どうするかといえば、人類として、窮極的に、やりたいと思うことをやるのがよい。
それは、つぎのことである。

  1. まわりが、どれほど、よごれているところでも、自分は、ゴミを落とさない。(乗物の中、屋内などを含む)
    そこで、ゴミを床上、路上に落とさぬため、上着の左下のポケットあたりかに、ビニール袋を入れており、これを、自分のゴミすて場と、決め、紙クズや食べカスを入れる。
    タバコを吸う者は、たとえばフィルムのあきカンを、1個、ポケットに入れており、灰皿のないところでは、このあきカンを、灰皿がわりに使う。
  2. きれいなところに立ったり、座ったりしたとき、いくばくのゴミがあったならば、ゴミすて場が、自分から、10m 以内にあるかぎり、自分から、半径3m 以内のゴミを1つだけ拾い、捨てにいく。
    「1つだけ」という行動であっても、周囲がよくなる影響力を、充分に備え得ている。
  3. 「きたない場所」「きれいでも、ゴミすて場の遠い場所」では、いっさい、ゴミを拾わない。
  4. 同上、第3種の場所において、目前で、誰かが、床上、路上に、ごみを捨てたのを見たときは、それを拾い、捨てた本人に対し、「拾いました。これを、ごみ箱に捨てておきます」といい、そのとおりにされよ。
    相手が、いかなる種類の反応を示そうと、それ以上、相手に刺激を与えることもあるまい。
【説明】
  1. 自分の捨てたごみを人に拾われるだけで、嫌味を感ずるものである。
    いわんや、「拾いましたよ」と言われるならば、なぐってやりたくもなろう。
    が、そういうめにあった人間の半数は、やがて、ごみを捨てなくなっていくものである。
  2. 人の捨てたゴミを拾うことが、正装した紳士淑女のなすべき作法であることを知られよ。
    東洋人は、一般に、これを知らない。
    つまり、「人は、落とそうと思っていなくとも、ゴミを落としてしまう生物である」という1つの社会物理について、気付くに至っていない。
    で、そこに、ゴミが落ちていれば、自分も、「よかろう 」とゴミを落とす。
    さて、そうは申すが、ゴミ拾いを職業とする者でもないならば、人の落としたゴミを拾うと申しても、ほどほどにされよ。
    拾うとなったならば、無茶苦茶に拾い、その善行が、裏切られたとなったならば、こんどは、自分も、おおいに、ゴミを捨てて歩くといった頭脳は、原始的である。
  3. そこで、いま、自分が、店の従業員として働くとき、すべてを掃除すれば、きりがない。
    と、申して、どこかを、一部の客がさわってみて、ゴミがたまっていれば、「まったく、どこも、掃除していない」ように、誤解する。
    頭のわるい店では、上の者が、なんでも、かんでも、掃除をと、追求し、下の者が、上から言われないかぎり、どこであろうと、掃除しない。
    頭のよい店では、店内の各部分を、「まい日」「3日おき」「7日おき」「半月おき」「1ヵ月おき」「3ヵ月おき」「半年おき」「1年目ごと」「3年おき」といった掃除頻度によって、分けてある。
    そうして、細かく、掃除箇所ごとに、担当者を、きめてある。さらに、その代理者までも、きめてある。
    人間の環境は、自然のままに放置すれば、けっして、美しくも、清潔にも、ならないものである。

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