未来物語について

石 原 道 子

 父の偉業として、「21世紀への階段」という本の出版があります。
昭和35年に、当時科学技術庁長官であった中曽根康弘氏からの要請により科学の未来を予想して、1週間ほどの間でB5で290ページのレポートを書きあげたそうです。そのレポートの作成にはたくさんのアルバイトの学生が睡眠をとらないで清書をしてくれ、まだむらさき色のコピーで紙も乾いていない原稿を持って編集会議に出席したとのこと。
 会議では、原稿の内容とそのスピードが認められ、前後2巻に編集され、「21世紀の階段」という題名で出版され、この年のベストセラーになったとのことです。
 その後、テレビの番組や週刊誌まで、年末年始やその他の時期でも、林實の未来予想図・予測は統計的数字や細かい分析などがすぐれ、よく取り上げられ、最近でいうコメンテーターとしても出演依頼や原稿執筆の仕事を受けていました。

 そして、父の死んだ昭和58年から1年後に母(万里)が「林實の未来物語」を出版し、生前にお世話になった方々にお配りしました。この「未来物語」は、父が書いた原稿を基に、母が編集し、母のイラストがところどころに入れてあり、私にとっては未来へのすばらしい贈り物になったわけです。
 今、その本を取り出して久しぶりに読んでみると、ほとんどの未来は現実になっており、非現実に考えられていた予測も実現しそうな勢いです。 例えば、携帯電話や歩く歩道などは皆さんがすでに利用していますが、この本を書いたころには、存在していなかったのです。それを父はほとんど細かく、あるものは数字を入れて具体的に予想をしていました。もちろん、現実は異なり、予想よりもはるかに便利になったものや、逆にまったく無視されたものもあります。
 しかし、比較をしてみると たいへんおもしろいので、皆さんにも読んでいただきたいと考えています。


執筆したころの林實

 昭和37年10月1日に「トウロ」という社内報の第1号が発行されたそうです。これは東京高周波電気炉株式会社で発行されたPR用の社内報であったのです。この中の「科学千一夜」というページを父が担当し約20号に渡って原稿を書いたのです。この時に挿絵を描いてくださった、石川功一氏は今 軽井沢にお住まいで草花の絵を描いていらして有名です。そのころ石川さんは「エカさん」というペンネームで園山俊二さんらと同期で漫画を書いていらっしゃいました。こんな方々にお世話になりながらの「トウロ」の文章には、未来が細かく書かれています。これはどこから思いついたのでしょうか?
 「未来物語」の中には「トウロ」から転記されていますが、ここでは項目だけをとりあげます。

「明日のきもの」・・・昭和37年ごろには女性でずぼんをはいている人はあまりいなかったのを思いだしてください。女性がGパンを着用する時代がくるのではないか?紙の下着のことなど、また、繊維は軽量化され、温度調節ができるようになる。紫外線をあび布の色がかわるなどを、空想で書いています。

「明日のたべもの」・・・炊事のやり方の変化と食べ物その物の変化の両方を予想しています。内容を読むと 栄養学については、現在さかんにテレビで放送しているようなことも含めて記入してあります。電子レンジについても、1時間の煮物が1分でできるだろうとあります。

「未来の農業」・・・人口作物は不可能、農業は培養工場に、においで虫退治、プラスチック土、安い農耕機具、最低三毛作について。

「明日の住まい」・・・アパートは大規模なもの程、行き届いたサービスができる。こういうビルではエアコン、電子レンジ、給湯、ディスポーザー・ダクト、テレビ、コンセントがついていて、照明は発光パネルで天井ぐるみ、壁ぐるみ発光しています。洗濯物は壁の穴に投げ込めば、時間以内に同一物の新品が発送されてきます。ベットは壁から出てきて、防犯設備もととのっています。(略)・・・・・・・・・買い物はテレビ電話で団地内のショッピングセンターに注文すれば、ベルトコンベアーで配達してくれるそうです。・・・・・・

「街の生活(ロンリー・ルーム)」・・・もう、こんな部屋も存在していますよね。

「街の生活(ヘルス・センター)」・・・朝起きてから、すぐにヘルスセンターへ行き、そこには今日着る服が用意されていて・・・会社の帰りにヘルス・センターへ行き、入浴をしてホームウエアーを着て、家へ帰ると奥さんの手料理が食べれる。ヘルスセンターの役割には健康診断や測定などの管理もおこなわれ、休息や薬や体操の指示がされるというのです。
 その他、航空時代、運河時代、トンネル、自動車、時計、教育、などについても書いています。
 このように、「科学千一夜」の文章を一つ一つ読んでいくうちに、現在はそのほとんどが実現されていることがわかります。皆さんにも読んでいただきたいのですが、それよりもこれからの予想をする方がどこかにいらっしゃることを願っています。

 そして、最後に父の下原稿の「むすびの言葉」をここに記しておきます。

 われわれは、現代文明をいたずらに謳歌しているだけではならない。
 過去、そうであったように、これから始まらんとする21世紀において、われわれが解決しなければならない問題は、あまりに多い。みんなで手をたずさえ、良き21世紀を築きあげていこうではないか。
 アイザック・ニュートンの晩年のことばにある。『わたくしの全生涯は、浜辺で、貝殻の一つをひろったようなものである。なお、無数の貝殻が残っているのに、わたくしは、それらをまだひろってはいない。』
 その後、今日までに、人類はもう一つか二つだけ貝殻をひろったかもしれぬ。まだ、ずい分、沢山残っていることは明白である。
 「人類は一つなのだ」みんな、仲良くしてゆかなければならない。けれども、もし、国際的な「力」を以て、上から人類統一組織を押し付けられるならば、われわれの子孫は、骨抜きになってあたえられた年中行事の時だけ、これらを、賑やかに、盛大に行って、それを唯一の勢力のはけ口とするような国民になってしまう。
 そのようなことになって欲しくない。これからの百年間、第21世紀がそのような方向にむかうことのないように、みんなで、努力、注意しようではないか。

  2006年10月



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